(再録)「あるリンチ殺人事件をめぐって

ホームページに書いていた日記(2005年11月18日)。忘れたくないので、再録しておく。
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昨日、早朝バイトから帰ってきて、ふとテレビをつけてみると、朝のワイドショーで、1999年12月に起きた「栃木リンチ殺人事件」ついて取り上げられていた。 この事件のことは、発覚して報道されたときから、その凄惨さへの痛ましい思い、警察の対応のひどさへの怒り、そして、何より「なぜ誰も助けられなかったのか」というやりきれない思いが僕の心に強く残っている。今でも、何かをきっかけにふと思い出す事件だ。

この事件は、当時19歳だった須藤正和さんが、会社の同僚を主犯とする少年グループに2ヶ月もリンチを受けながら連れまわされ、最終的に殺害されたというもの。

警察が、両親から再三、捜査依頼があったにもかかわらず、動かなかったということ、 また、正和さんの携帯からかかってきた電話に警察が出て「警察だ」と名乗ったことが殺害の直接のきっかけとなった、ということで、警察の不手際が問題にされている。

警察への怒りも禁じえないが、僕の心にずっと突き刺さっているのは、やはり「なぜ誰も助けられなかったのか」という思い。

連れまわされている間に、彼をリンチしていた少年たちが渋谷のカラオケボックスでカラオケをしていて、正和さんが外で座り込んで待っている姿が目撃されているという。そのときには、既に正和さんはリンチを繰り返し受けていたため、酷い姿になっていたらしい。

その状況を取り上げて、「なぜ逃げなかったのか」と言う人もいるが、繰り返し暴力を受けた人が、恐怖と無力感で暴力から逃げられなくなるというのは珍しくない。これだけひどい暴力を受け続けたならば、思考力も気力も失わされるだろう。

その事件の報道を最初に聞いたときは、そのカラオケボックスでのことが印象に残り、「なぜ誰も…」という思いを抱くことになったのだが、昨日、その事件について書かれている記事を読んで、さらにその思いを強くすることになった。

その記事によると、少年たちは、カプセルホテルに泊まり、大浴場で、正和さんに熱湯をかけたりしていたらしい。大浴場で、そのようなことをして誰も気づかなかったのだろうか?また、泊まる際に、カプセルホテルのスタッフは、正和さんの異様な状態に気づかなかったのだろうか?

正和さんの両親は、事件後、警察の対応のあり方について訴え続けてきた(お母さんはその後亡くなり、現在、お父さんが一人で闘っている)。きっと、心のどこかには、「なぜ誰も助けてくれなかったのですか」という思いがあるのではないだろうか。それを口にすれば、匿名の攻撃者たちから袋だたきにあうだろうから、言わないだけで(きっと、警察の非を訴えるだけでも、ひどいバッシングがあるに違いない)。

そして…正和さんの気持ちを思うと、言葉にならない。彼の前を多くの人が通り過ぎただろう。にもかかわらず、誰も声をかけず、誰も助けようとしなかった。マスコミは、犯人の非情さと、警察の落ち度を問題にする。しかし、正和さんの死には、無関心の人々も加担しているのだ。

これは、決して、「自分なら何かをできた」という意味で書いているのではない。自分もその「無関心の人々」の一人になったかもしれない、という思いが僕にこの文章を書かせている。無関心は人を殺す。そのことを、決して忘れたくない。

参考サイト「TOPIC No.2-89 栃木リンチ殺人事件」<主にこの事件の警察の対応について

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