この歳でも、なりたいものをイメージする

なぜだが、幼い頃から、「将来なりたいもの」を具体的に、本気でイメージできたことがない。

幼稚園で誕生月にもらった見開きの記念カードには将来なりたいものを書く欄があって、先生に尋ねられたものの、結局答えられなくてモジモジしたことをはっきりと覚えている。

先生が親に「家で聞いてあげてください」と言い、その結果として「ケーキ屋」と書かれているが、本当に「ケーキ屋」になりたかったわけではない。当時、「ケーキ屋けんちゃん」というドラマが流行っていたからそう答えただけだった。当時、世の中にどんな職業あるかなんて知らなかった。

小学生の頃は昆虫が大好きで、栗林慧さんという昆虫の写真で有名な方に憧れて、昆虫写真家になりたいと言ったり、小学5年生の頃に『デモクリトスから素粒子まで』とか『伝記 キュリー夫人』などを読んで科学者に憧れたこともあった。小学6年のときには『小さなハチかい』という本に影響を受けて養蜂家になりたいとも思ったり。

中学3年から高校1ー2年くらいまでは医者になりたいと言っていたが、本当になりたかったわけではなく、多くの地方でそうであるように、沖縄でも成績の良い生徒は医学部を目指すという流れに乗ってそう言っていただけだった気がする。

高校時代に英語が得意だったり、トルーマン・カポーティ『遠い部屋、遠い声』に感動したこともあり、大学で英文科に進むことにしたが、その先に職業のイメージがあったわけではない。

結局、特になりたいものを具体的にイメージして、それに向かうということもないまま、大学在学中から、「ゲイリブ(ゲイ解放運動)」にかかわったり、4年生のときから、当時ほとんど参加することのいなかったHIV/AIDSに関係する市民活動に参加して、「自分がやらねば」と思うことを優先した活動中心の生活で、自分自身の生活やライフコースを計画する余裕なんてなかった。

その一方で、塾でバイトしたり、私立高校の英語教諭になったものの1ヶ月で辞めたり、いろんなバイトをやってみてはすぐ辞めたり…大学院に入り、博士課程に進んでからは、いろんな大学で非常勤講師を勤め、20年以上続けた。年齢的にも、研究テーマ的にも常勤の職に就けることはないだろうと思っていたが、2019年には、なんと東工大の教授になり、ついにキャリアのゴール! …のはずだったが、その頃にはすでに精神的にボロボロで問題をあれこれ抱えていた私は、それすらも1ヶ月で辞めざるを得ない状況になった。

そんなふうに流れ流されて、自分の問題に振り回され、周囲を振り回し、気づけばもう還暦までちょっとという年になってしまっている。

現在は、非常勤で最長5年ではあるが、明治学院大学ボランティアセンターのボランティアコーディネーターを務めていて、無事に2年目終了まであと数ヶ月。自分らしい仕事ができていると満足している。

しかし…ふと、今の自分の年齢を実感するとき、正直落ち込んでしまう。例えば、よく行くゲイバーで、20代前半の若い人と出会うとき。その彼が今どんな状況であろうと、これからたくさんの時間があり、たくさんのいろんな出会いがあり、いろんな可能性があることを、その頃の年の自分と重ね合わせて思う中で。あるいは、中学・高校時代によく聴いていたラジオ番組をYouTubeで聴いて、それを聴いてた自分を思い出すとき(城達也さんの「ジェットストリーム」や、野沢那智さん&白石冬美さんの「パックインミュージック」、米吉奈名子さんの「奈名子のドリームコール」など)。

当時の自分の感覚に包まれ、長い未来があり、可能性に満ちていた自分をありありと思い出す。なりたいものを具体的にイメージしなくても、できなくても、なれるかもしれないものが自分の想像を超えるくらいたくさんあったことをどこか感じていたような気がする。どんな未来が待っているかわからなかったけれど、長い長い未来があった。そして、その頃から今までの様々な出会いやり別れ、いろんな経験が一気に駆け抜けていく。すると、今はもう人生の終盤に差し掛かっている自分を思い、切なくて苦しくて、悲しくなってしまう。

そして、容姿の変化も。私は、若い頃にも自分がかわいいとか、もてるとか思ったことはなかったけれど、容姿に大きなコンプレックスをもったことはなかったし、色恋の出会いもたくさんあった。活動の一環とはいえ、ゲイ雑誌にもよく写真を掲載してもらったりして、ずいぶんといろんな人にかわいがってもらった。

それは今考えると、それなりにモテを享受していることだったのだ。それを気づくようになったのは、そうではなくなったから。昔の自分の写真を見て「かわいいー」と思ったりするのは、それが無くなったから。私の周りには、私より年上だけれど、イキイキとゲイライフを送っている先輩がたくさんいる。そういう人たちを見て勇気づけられてきたけれど、簡単に自分もそうなれるわけではなかった。

けれど、もしこの先さらに10年生きられたとしたら、今は、10年後から見れば、まだいろんな可能性があるように見えることだろう。だから、可能性が狭まったことを悲しむよりも、今ある可能性を最大限活かすようにしよう。そのためには、なりたいものを、やりたことをもっとイメージしなくちゃ。




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