中学時代の家庭教師に謝りたい話

マストドン(Mastodon)いうSNSには、夢(寝たときに見る方ね)や思い出話を書いているので、中学時代に家庭教師をつけてもらったときの話を書こうと思ったのだが、やたら長くなって収まらなくなったので、noteへ。昔から我慢できない、わがままな性格であることが明らかになるエピソードだけど…

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【ふと思い出すこと】中学3年のとき、塾に行ってなかった私は「家庭教師をつけたい!」と言い出した。そんなに余裕のある家ではなかったけれど、親は家庭教師を派遣しているところに依頼してくれて家庭教師が来ることになった。

受験を控えてるからということもあったのだが、別に沖縄でトップの私立高校を目指しているわけでもない私は、校区の良い方の高校に入れるくらいの学力はあったので、受験合格という意味では必要はなかった。ただ、数学が苦手でなんとかしたいとは思っていたけれど。

実は、家庭教師をつけたいと思った動機の半分(7割くらい?)は不純なものだった。小さい頃から「お兄ちゃん」が欲しいと思っていた私は、ちょっとしたお兄ちゃん的な人ができるのではないかと思ったのだ。当然というべきか、お兄ちゃんが欲しいというその思いは、小学4年の頃から意識し始めた「男性が好き」という欲望の延長にあった。

そして、家庭教師初日。来てくれた大学生は、華奢で頼りなげで(ごめんなさい)、私のイメージする「お兄ちゃん」と全然違うタイプの人だった。私は、そういう人が来ることを予想していなかったので(幼い)、ショックだった。

さらに、数学の比較的簡単な問題を私が解けないことに「え、なんで?」と彼が驚いたことが、ショックにショックを重ねた。彼の驚きは、よくできる他の科目とのギャップのせいだったようだが、その驚きように、基本的に優等生だった私は屈辱感を感じてしまった。

それで、すぐに「もう嫌だ」となった。とはいえ、自分から言い出した家庭教師…でも嫌と思ったら我慢できない性格。私は、2回目(3回目?いや1回しか受けなかった気がするから2回目のはず)の家庭教師をさぼるために、その日、夜遅くまで学校に残った。

当然、中学校にそんなに遅くまではいられないので、こっそり放送室に忍びこんで、真っ暗にしてその中で時間を過ごした(私は放送部でもなかったのだが、なぜ放送部に忍びこめたかは、ここでは秘密)。

話はそれるが、もう帰ろうと思って、こっそり校舎から出ようとしたとき、ちょうど他の校舎を見回ってた宿直の人が、私が出ようと思っていた裏口のドアから中に入ってこようとしていた。長さのある廊下の端にあったので、引き返しても絶対見つかる。焦った私は、そのドアから少し手前にあった別のドアを、その人が開けるのにちょうど合わせて開け静かに出るという離れ技をやってのけて、ことなきを得たのだった(すごい技)。

そんなふうに家庭教師の時間をさぼって帰ったら怒られるのは当然。でも、理由を聞かれても、根底には不純な動機があるし、屈辱感を受けてしまったことをどう言い表したらいいかわからないので答えきれず。私はまさに「逆切れ」状態になって、部屋に籠もってしまった。

3回目のときは、部屋にこもったまま出ないという方法をとった(と思う)。その時だけでなく、トイレや食事以外は自分の部屋にこもった。自分の部屋の入り口はドアではなくふすまだったので鍵がない。それを自分で工夫して外から開けられないようにして閉じこもった。で、そんなこんなで家庭教師はやめた。

家庭教師のその人は、「優秀な生徒ですから家庭教師はいらないと思います」と言っていたという。きっと私のその行為は深く傷つけたことだろう(自分が逆の立場だったらと思うと…)。今、お元気なら、60代前半だろうか。本人には届かないだろうけれど、心からお詫びしたい気持ちだ。

ほんとうにすみませんでした。

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