原作を読んで ~フォルトゥナの瞳~

こんばんは、すなぎもです。

前に、フォルトゥナの瞳をAmazonプライムで視聴して、その後原作を読みたくなり、図書館へ行き、読みました。

怠け者のわたしには、期限があって返さなければならない方が、読まなければもいう心理も生まれて、好都合な気がしました。

本は買って読め、とも聞きますが、まあ久しぶりの読書に手を出すのにはとても、良かったです。

てなわけで感想です。

映画と原作で、少しばかり内容が変わっていました!!
こんな発見も両方に手を出さなければ発見できないので、いい機会ですよね。。

ネタバレもここからは含むことにはなってしまいますが、記録用として、この結末の違いと考察を少し書こうかと思います。

主人公は他人の「死」が見える。そんな設定です。
日常の中で彼だけが見える透明になっていく人間は、「死」に近づいていることを意味します。

職場の人、のちに恋をする人。
そんな人たちを「運命」を変えることで「死」から救ってきました。

彼は、ある日、他人の運命を変えると自分の「死」が近づくことを、同じ能力を持つ、ある医師に気付かされました。

その後、しばらくすると、日常の中に透明な人を多く見かけるようになりました。

彼は、大災害が起きるのか、それとも大量殺人か、大事故なのか。なんとしてでも多くの人の「死」を救いたい。そう思います。

ですが、初めに救った彼女とは恋人であり、運命を変えることとなれば、自分自身の「死」が近づき、彼女と過ごす時間も減ることとなります。

この、自分の生vs他人の生。葛藤が生まれます。

この辺までは省略されたところもありますが大体同じ。

映画ではこの後、他人の生を選択して、大量死の原因を列車の事故だと突き止めて、自分が線路に飛び込み、列車を止めることで、多くの人を救おうとします。

するとその列車の中には愛する人。

これはなんとしてでも、救わなければ。。。

これが映画。

本では、他人の生を選択するのは同じでしたが、別に列車に彼女は登場もしないのです。あとから彼女は知ることとなります。

まあ、最大のドンデン返しともいえる、彼女も同じ「死」が見える。という結末は同じでした。

なかなか面白い作品でした。

次は「マスカレード・ホテル」を借りました。
2週間以内には多分読み切れます。

これも映画は見ているので、映画での犯人は覚えていますが何か違いはあるのか楽しみです。

では今日もこのへんで。

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