見出し画像

ちょっと東京を離れる、ちょっと

春が来るまでの間、心身共にはっきり言って超元気だけれど、訳あって会社はお休みする。離れることになった/離れることにした。会社は最高に楽しくてやりがいもあって、最高なので、やめる気が全くないため休職願いを書いた。「なった/した」の使い方を悩むくらいには、自分の意思だけでない部分と自分の意思が混ざり合う。

私の家業は祈る仕事だ。それは昔から、自分の意識が意識らしくなった頃からそうだった。私は徐々にそれを知る。よそさまの生活と自分の生活、違いはいろいろあったからだ。家にジャングルジムがあるとか。家庭のルーティンにお供えものの献撰があるとか。琴の調弦が必要だとか。年末はお餅つきをするとか。朝起きて、知らない人たちが自然に部屋にいるとか。血のつながらない親戚みたいな人や、たまに家に住まう準レギュラー家族みたいな人がいるとか。そのなかには、家族を持たない人、お金を持たない人、耳が聞こえなくなってしまった人、世間的にえらい人、誰かに会うだけで涙が止まらない人。いろんな方々がいた。口の悪い人も、お人好しすぎる人も。父にも母にも、みんなあなたの家族よと教えられていたから、私はなんとなくだけど自分の家族だと思ってきたし、みんな世の中はそういうもんなんだと思って大人になった。

やや特殊な生活の中で、私が身につけてきたのは「生と死の距離」だ。こうやってnote書いていても、ぽろんと出てくるくらいには「生と死」が私の近くにある。

「子どもがやっと授かった!」

「病気になってしまった、長くはないらしい」

人生の節目とはよく言ったもので、滑らかな木肌を目をつぶって触っていたら、急にその凸凹に出会ってしまうように、自分では予測できない。上の台詞は極端な例だけれど、我が家の電話の電話線の元をたどると、それぞれの人の人生の節目にダイレクトに配線されているような生活だった。

その全てが今の私には愛おしく思えるようになったのは、めでたい性格の母と、顔しか似ていない穏やかな父の間に生まれたからかもしれない。昨年から、「生と死」がさらにさらに自分の近くでさざ波のようにうごめいていて、さらには実家も出たかったから、ちょっとした修行に行こうかしらという気持ちが生まれた。

あと10日したら、しばらく東京にいなくなるので、仕事はできることをできるだけやりきろうとしている、ちょっとまったく終わらないけれど。一年前からの私の勝手なお願いを叶えてくれる会社にはあらためて感謝してる。そしてあとは、ひとまず好きなヘアサロンで髪を数ヶ月分切りって(もともと和田アキ子さんクラスの短さだけど)、好きなものを好きなものだけ食べて(大好きな店がたくさんある、あとは母が作るやや適当なレシピのスープ)、恋人とは気になる美術展に出来るだけ赴き、真顔の恋人の楽しそうな顔の写真を隠し撮りして、クリスマスっぽいツリーは目に留めておきながら、すりきれてしまうときいて白靴下をたくさん買う。

多分こちらを離れたとて、なにか壮大なにかを得てくるとも限らない。だけど、「離れる」ということは、なんでも掴まなければ、なんでもやらなければと、だって、明日生きているかわからないんだものと思っている自分にとっては、ちょっと良いのかもしれない、ちょっと。

そんなわけでnote日記もちょこちょこ書いていきます。モラトリアムでも、ユートピアでもない、私の圧倒的超現実なんですよね。ちょっと。