【貧乏父さんの子育て論】トイレトレーニングで重要な親の課題

子育てママさん、パパさん、こんにちは。3人の子を持ち、子供たちと格闘する日々を送っている三木です。
ちょっとした仕事の都合で、すぐに“家事(育児)と仕事の両立はむずかしいものだ”と感じてしまう今日この頃です。

さて、今回は“おトイレのしかたを教えること”を題材に「わが子であってもホウ・レン・ソウで考えよう」という試みで、子供との対話について考えてみます。
みなさんは、どのような口調でトレーニングされてますか?

発してはいけない命令口調

ついつい わが子には、「〇〇しなさい!」などと命令形の言葉を発してしまいがちです。
例を挙げれば、つぎのようなものです。

おトイレのしかたを教えているとき
   「もう、どうしてできないの?ちゃんとしなさい!」
なにかを伝えようとしたとき
   「いま忙しいから、後にしなさい!」
ズボンを脱いでいるとき
   「グズグズしないで、早くしなさい!」
おトイレに行きたいとき
   「なんで電車に乗る前におトイレへ行かないの!?次の駅まで我慢しなさい!」

いかがですか?身に覚えはありませんか?
いや、実際に時間が迫っている局面はあると思いますので、すなわちダメだ、ということではありません。

ただ、当の本人はどうでしょう。せっかくの努力や忍耐力をないがしろにされていては、大きくなったとき「ママ、パパ、実は・・・」なんて語りづらいと思います。

強制するときには「代替案ありき」が前提

ビジネスの世界では『ホウ・レン・ソウ』という言葉があります。
「報告」「連絡」「相談」の三語をつないで、なおかつ省略された造語です。

最近では不要論なども出ているようですが、それはバカげた話です。
これらが必要な理由は、シンプルに『相手に判断材料を与え、事案について考えてもらうため』だからです。

ですので、子供が相手であっても、、、いえ、相手が子供だからこそ次のようなやり取りが必要だと考えます。

おトイレのしかたを教えているとき
   「この前はここまでできてたから、またできるよ。」
→報告
なにかを伝えようとしたとき
   「これが終わったら聞いてあげるから、後にしてもらえる?」
→相談
ズボンを脱いでいるとき
   「早くしなかったから間に合わなかった人もいるんだよ?だから、今回は手伝ってもいいかな?」
→報告&相談

おトイレに行きたいとき
   「次の駅にもおトイレはあるから、そこまで我慢できる?」

→連絡

要は、本人の意思を尊重しながらも、こちらの都合で(ほぼ)強制しつつ、なおかつ代わりのチケット(1番目は「うまくするのは次回とする」、2番目は「後で話を聞く」、3番目は「親がズボンを脱がせる」、4番目は「おトイレに連れて行ってあげる」)を渡すわけです。

・・・まぁ、最終的には強制することに変わりはないのですけどね。(苦笑)

できたことは「まず称える」こと

ここまでで、お分かりいただけましたでしょうか?
本人の主張や振る舞いを認めることが、昨今、流行りとなりつつある「アクティブラーニングを促進する」ことにつながるのです。

せっかくのトレーニングも、できたことを認めてもらえなければ、大人であってもやる気が出ないものです。
きちんとおトイレでできた時にはしっかりと褒め称え、たとえ我慢できなかったとしても報告してくれたことに感謝して、こちらの都合を押し付けるときは“きっちりとホウレンソウをする”べきなのです。

「うちの子は引っ込み思案なうえ、個性がないなぁ・・・」となってしまわないよう、子供の行動を見守ってあげてください。
ただ、ケガをしたり、他人(ひと)様に迷惑が掛かることについては躾も必要です。褒めるだけの一本調子な親にだけはならないでください。あと、100点満点も不要です。(おそらく、60点以上を目指す程度で十分です)

さて、気がつけば新年を迎えてしまっておりました。
あけまして、おめでとうございます。
昨年晩秋から、とある食堂の運営を請け負うこととなりまして、いっそうの気苦労を家族に負わせているダメな人へまっしぐらです。
愛する家族に見捨てられないよう、これからもなだめすかし・・・ではなく、仕事を軌道に乗せるべく努力してまいります。

みなさんと一緒に楽しく子育てができればと思い、このノートを綴っています。
なにかの折に、思い出して行動するきっかけになれば幸いです。。。

■著者略歴
 三木 崇行(みき たかゆき) 昭和生まれ。3児の父。両親は死別。
 以前はICT関連事業で自由業として14年間生きる。現在は子供の教育関連で一旗揚げようと、家族を巻き込んで奮闘中。
 「こどもには論理と金銭教育が必要!」というのが持論で、国語と算数の勉強には口うるさく介入する。また、相方と一緒に考案したコインゲームによる教育も施す。
 「良いものは良い」と考えるので、主張に一貫性が無いように受け取られることがある。本人は、人生のゴールに一直線で向かっているつもりの凡人。
 貧乏でも毎日楽しく生きている楽観主義者。

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