PCR検査をめぐる「5つの理論」の問題点

https://webronza.asahi.com/national/articles/2020051500010.html
検査抑制論者と思われる、公衆衛生学が専門の鈴木貞夫教授の理論がひどかったので、遅ればせながらつっこんでおく。今後も誤った議論の根拠として使われると思われるためである。途中から有料記事となったが、こちらでは全文読める。

①カルピス理論
日本より検査不足の国と比較しており不公平
②アイスクリーム理論
検査を増やしても死亡者が減らない根拠がない
③寿司屋理論
前提の認識が間違っている
④パクチー理論
代表性のないサンプルで検査が足りていることは示せない
⑤下茹で理論
PCR検査と抗体検査の感度特異度の前提が違う

①カルピス理論
感染が蔓延した国ではそうでない国より検査が受けられないと言っており、日本より感染が蔓延した欧米の国々より感染者・死亡者あたりの検査数が多いと言っている。結論として、日本のPCR検査不足は表面的な印象に過ぎず、理論で示したものがないと主張している。

一般に、検査が不足している度合いは検査陽性率の高さに現れる。日本より感染が蔓延している欧米の国と比較すれば、確かに日本の検査陽性率は低くなる。しかし、こういった検討では、都合の良い比較対象だけを持ってくるのではなく、日本より陽性率の低い国とも比較しなければ公平な評価にならない。

こちらの図は、横軸が100万人あたりの陽性者数、縦軸が100万人あたりの検査数で、左上になるほど陽性率が低く、防疫に成功していると見做される。つまり、比較的陽性率が低い東南アジアやオセアニアの中では、日本は検査数が足りているとはいえないことがわかる。

コメント 2020-05-20 131634

つまりカルピス理論は、日本より陽性率の高い国を恣意的に持ち出して日本の検査数の方が多いと言っているだけであって、日本より陽性率が低く防疫に成功している国々がある以上、検査数が足りていることの証明になっていない。

②アイスクリーム理論
関連があることと因果関係が異なるという説明であって、それ自体は正しい。しかし、因果関係が証明されていないことは、因果関係がないことを意味しない。
つまり図3の事例Bの「PCR検査を増やして陽性率を下げても死亡者数は減らない」は自明ではなく、雑な結論である。

そもそも関連が因果関係の根拠とならない例を挙げながら、同じ考えで「PCR検査を増やしても死亡者が減らない」という考え方が成立すると言っており括弧内は証明されていない。
少なくとも「PCR検査を増やしても死亡者が減らない」と思いたいならそれが因果関係か否かを判定する検討を行うべきである。

つまり、アイスクリーム理論も、検査数を増やしても死亡者が減らないことの証明になっておらず、検査数が足りていることの証明にもなっていない。
それに気が付かない人だけが、検査数が足りていると誤解するような、詐欺的な文章になっている。

③寿司屋理論
モデルには前提が必要で、前提が間違いだったら出てくる結果も間違いと言っている。
そして、濃厚接触者で構成される「クラスター枠」では検査前確率が非常に高い、そして「クラスター枠」はほぼ全例検査しているであろう、という想像を前提にしていて、その根拠は示されていない。

まず、濃厚接触者で構成されるクラスター枠がほぼ全例調査されているというのが誤りである。積極的疫学調査実施要領を見ればわかるが、濃厚接触者であっても無症状者は検査対象とならないので、全例検査はされていない。

また、濃厚接触者の検査前確率が非常に高いということも根拠がない。なぜならクラスター枠や医師必要枠や市中枠の検査数や陽性数が公開されていない以上、クラスター枠の検査前確率が非常に高いだの市中枠に陽性者がほとんどいないだのという前提が、どの程度正しいのか示しようが無いためだ。

そもそも、日本は検査数が先進国最低レベルで、圧倒的に少ない。少なくとも現状では、増やせば増やすだけ陽性者が見つかる可能性がある。つまり、その範囲では検査数と隔離率が比例すると近似しても、小田垣孝先生の理論に大きな矛盾が生じない可能性がある。

画像2

つまり、元の理論を否定したければ「PCR検査数を(y倍に)増やして(陽性者をy倍にして)隔離率をy倍増加させる」という近似が成立しない程度に、検査を増やすと検査前確率が下がることを示さなければならない。しかし、数値に根拠が無い以上、それが示せているとは言えない。

もともと正確な値の算出が困難な検査体制で、かつ検査数が他国比較でも非常に少ない以上、検査数の増加と隔離率の増加が比例していると見做すのは大きく誤った仮定とは言えない。モデルを扱う際は、本質的ではない誤差を許容して大意を掴むことが重要で、前提の厳密性に拘るのはあまり意味がない。

そして、元の論文は、SIRモデルに、隔離された感染者Qを加えた自然なモデルである。このモデルで重要なのは、感染者数を下げることには、市中の感染係数の低減と、隔離率の向上が影響するという指摘で、感染者を減らすためには後者の方がより効果的であると言っている。

これ自体は考えてみれば当然で、市中の感染係数を大きく下げるためには、ほぼ感染が広がっていない大多数の人が接触を8割減らすといった、社会的な影響が大きい作戦が必要になる。一方で、検査で陽性となった人を隔離すると、陽性者にターゲットを絞って感染拡大を抑制することができる。

感染拡大を防ぐために、無関係の人も大量に巻き込んで8割の自粛をするか、感染者を見つけて隔離するか、どちらが効率が良いかという話なのである。たとえ検査の感度が7割であっても検査をせずに市中に野放しにすれば、いずれは感染が広がって、検査より社会的なコストの高い自粛をせざるを得なくなる。

検査を絞ったがために、その後に感染者が何倍にも増えたり、強力な自粛をせざるを得なくなるなら、医療機関の負担もむしろ増えるし、経済的な被害も大きくなる。
理論がわかれば、検査拡大は十分メリットのある選択肢であることが理解できるし、記事が反論になっていないこともわかる。

④パクチー理論
「代表性」のないサンプルを取出して、母集団の推論をすることは妥当でないという指摘で、それ自体は正しい。
しかしそれを言うなら、カルピス理論で日本より陽性率の高い欧米の国々ばかり取り上げて、日本のPCR検査不足を否定するのも間違いだと言える。これは出版バイアスでもある。

ついでに言うなら、日本のPCR検査も長期に渡り発熱4日であるとか帰国者接触者に限るといった強い条件を実質的に課していて、市中感染を代表する値を見ていなかった。そもそも相談センターに電話がつながらないため規模の推定も難しい。代表性がないため、死者数の少なさや防疫の成功の根拠にならない。

つまり、強い条件を付けて検査を絞っている日本のPCR検査体制も、代表性のないサンプルの取り方の例になっている。
とはいえ検査数が逼迫している状況で、ランダムサンプリングをして無駄な検査をするわけにはいかないので、代表性のある検査をするためにも、検査数拡充が必要ということになる。

補足すると、検査数を増やすことは医療従事者の負担を増やすとは言い切れない。なぜなら検査をしなければ感染力のある人を早期に隔離することが困難であるため市中感染が広がり、軽症者だけでなく重症者や死亡者も増え、結果的には検査で感染拡大を抑制した場合よりも医療への負荷が増えるためだ。

⑤下茹で理論
非常に雑な感度・特異度の仮定で、PCR検査の代わりに抗原検査だけを使えば良いのではと言っており、論外である。
まずPCRの感度が50%と言っているが、根拠がない。中国の報告では喀痰72%、鼻腔スワブで63%であり、50%や40%よりは高い。https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2762997

RT-PCRではウイルスのRNAをDNAに転写して数百万倍以上に増やして検出する。増殖の鍵となるプライマーはSARS-CoV-2に特異的に反応するため、原理的に特異度は100%である。偽陽性があるとすればほぼコンタミが原因となる。コンタミはどの手法を使っても起こり得るので検査しない理由にはならない。

ちなみにプレプリントではあるが、中国広州の実績値で特異度は99.96%という報告もある。基本的にPCRの特異度は極めて高いのである。日本でしばしば喧伝されている、PCRの特異度99%などの値は、根拠のない低すぎる値で、デマとしか言いようがない。

抗体検査はSARS-CoV-2に対する特異的な反応に依存するものではない。したがって特異度はPCRより原理的に劣る。たとえば90%等になり、そもそも比較できるものではない。基本的な原理や数値を確認せずに、抗体検査だけで十分などと言うのは暴論でしかない。

また「感度が低いから隔離が十分にできない」ことは、検査と隔離をしない理由にはならない。なぜなら検査さえすれば、感度分の陽性者は隔離できるのに対し、検査しなければ100%が野放しになるためである。そして、検査をすればするだけ隔離できる可能性は上がるから、世界では検査がされている。

以上の通り、殆どが誤った理論なので、導かれる方針も妥当でないものとなる。

①患者数把握ではなく死亡者数最小化
患者数の把握を怠ると、市中感染の広がりの迅速な検知や隔離ができなくなるため、結果的には感染者の増加を招き、重症者も死亡者も増える。つまり患者数を把握しないことは死亡者数最小化につながらない。重症者数や死亡者数は遅行指標のため、防疫に不適である。

②病院は隔離ではなく治療を
隔離をしなければ基本的に感染拡大するため、治療もいずれは逼迫することになる。海外で臨時病院まで作って隔離をした理由はそのためである。
新しい生活様式で感染拡大を防ぐのは結構だが、それで本当に感染拡大していないかを確認するには、結局は検査が必要である。

③治療は原因ではなく症状に応じて
確定診断せずに症状だけ診て対応すると、SARS-CoV-2の院内感染や家庭内感染を防ぐことが難しい。原因は確認するべきである。

④ 検査は希望ではなく必要に応じて
少なくとも希望者が電話もつながらない、繋がってもほとんど医療機関に紹介されない状況は改善するべきである。仮に検査がどうしてもできないとしても、疑似症の傾向を把握することは必要である。大阪などでは有症の医療従事者ですら検査されないという声もある。

結論として、一連の記事の理論では検査の抑制は正当化されない。
現状の日本ではPCR検査拡充は緊急の課題である。

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