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おしゃれなカフェがもたらす分断のお話


僕は今、おしゃれなカフェでこれを書いている。
何回も1人で通っているが、人と一緒にいくきっかけがなければ絶対に1人では来ることのない、少し場違い感もある、そんなカフェ。

そういうおしゃれなカフェにはおしゃれな服を着て、希望に溢れたお話をする若い人しかいない、ように見える。あと、おしゃれをしているだけあって、お客さんも店員さんも見た目が整っている。僕は生まれてこの方、自分よりブスな人を見たことがないレベルの容姿と内面なので、いつか「お客さまほどのブスは当店のイメージに関わりますので、、、」と入店拒否されてしまうのではないかと毎回ビクビクしているが、なんとかそんなことはなく毎回店内で過ごさせていただいている。

そして何よりおしゃれなカフェが大勢の人にとって過ごしやすいのは、異常な行動(と世の中的にされていること)をする人が圧倒的に少ないこと、ここに分断があるし僕は少し不安になる。

例えばおしゃれなカフェに、いかにも競馬のことしか考えていないおじさんがいて頭をボリボリかきながら大きめの声でぶつぶつひとりごちりながら競馬新聞と睨めっこしていたとしたら、「ああ、この人は迷い込んでこのカフェに来たんだな」と思ってしまうだろう。誰が入ってもいい場所なのに。

僕が突然奇行に走りたくなる精神状態になることだってあるだろう。両腕を横に広げて回転しながら「はい、タケコプター!」とか「ドンキーの↑Bだよー!ウッホウッホ!」と叫びながらカフェを一周してしまうことだってないとは限らない。そんなことしたらこの空間はこの空気は一発で崩れてしまう。おしゃれなカフェは奇行に走るかもしれないメンタルよわよわ成人男性には対応していないのである。

そんなこといいだしたら、つまずいてこけたり、コーヒーをこぼしたり、財布を落としたりしただけで、この空間は壊れてしまうような気がする。実はおしゃれな空間の方がよっぽど異常だったりするのだ。普通の顔して異常なところは学校に少し似ている。だからカフェを楽しむには集中を要する。自分の挙動から意識を切り離し、五感に意識をむける。これはもう修行である。カフェは道場。おわり。

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