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「世界でいちばん、面倒だ。」と思うこと。

ある日、夕飯の支度をしていると、長男(11歳・小5)がやってきた。

「お母さん、お母さんにとって世界で一番面倒臭いことってなに?」

い、いきなり、深い質問ですね。料理をしながら、頭の中でアレか?コレか?と考える。一番って言われると、わからないものだ。だって、いろいろあるよな~タイミングや事柄によっても面倒と思ったり、思わなかったりするし。そんな時は、そのままの質問を本人に返してみる。

「あなたにとって世界で一番面倒なことって何なの?」

「人間関係。」(即答。)

ちーん。笑

確かに。カニ。(カニは前回の話。)

まさに、その通りだと思います・・・。あ~も~!!!って思うアレもコレも、誰かと関係性の中で起こっている。

でも、その世界で一番面倒である人間関係が豊かさをもたらしてくれることも沢山ある。こう言っている長男だが、人間関係の面倒臭さをそれなりにかいくぐって、生活している。うまい具合にスルーしたり、忘れて持ち越さない術を身に着けているように見える。

2年ほど前だったか。長男が3年生の時、卒園した幼稚園で、なにやら小学生同士の揉め事の最中に居たことがあった。基本的に一匹狼タイプで、遠くから物事を観察していることが多いのだが、その時はなんだかその最中にいた。小学生の他の子からも私に苦情が寄せられーまぁ、内容は可愛いもので、嫌なことを書いて張り出した、あんなこと言われた、とか。

私の対応は、だいだい、「あぁ、そうなの~。本人には話してみた?本人にも直接話してみて~。」である。状況を知らない私が、口を出して良いことなど余程のことがない限りは、皆無だと思っている。却って事をややこしくするだけだと思う。

その日、帰宅してから、「〇〇くんから苦情が寄せられましたよ~」と冗談半分に言ったら、「あ~あれか。自分はやってないけどね。まぁ、放っておけば、そのうち収まるから。お母さんは心配しなくていいよ。」と言われた。「あなたの所にも何か言いに来たんでしょ?」「うん、来たよ。」「その時、どうしたの?いろいろ言われたんでしょ?」「え?弁当食べてたよ。」・・・飄々としたものである。「だって、やっただの、やってないだの言っても、まだ被せて文句いってくるし、文句言いたいだけだから、別に何も言う必要ないでしょ。本当のことは自分が知ってるんだから。」

相手は色々不服申し立てをしているのに、原因である本人は涼しい顔して、何も応えることなく、淡々と弁当を食べていたのである。相手は、苦情を言うのを諦めるか、さらに怒るかしただろう。そして、暖簾に腕押し感でいっぱいになるのだ。その姿が目に浮かぶ・・・。

彼のこの軸はどこにあるのだろう?本当のことは、自分が知っているのだから、相手の言うことを否定したり、反論する必要もないというのだ。

後日、長男は、また違う事柄で揉め事に巻き込まれていた。その時は子どもたちだけでなく、相手の子どもの親も関わっていたので、ややこしくなった。「あぁ・・・面倒だ。」と私の心も頭も面倒臭さでいっぱいになったことがあった。「言った・言わない」「どちらかが、嘘をついてる」・・・そういった事柄はどっちでもいいと思っている。それは本人がわかっていればいいのだと思う。それをわざわざ確認して、大人がジャッジして、何になるのだろう。

しかし、それでは収まらない場合がある。大人の気持ち、いや、親の気持ちがおさまらない場合だ。子どもたちは、目の前のことが終わると、大抵次に向かって進み始める。しかし、大人はそうはいかないことが多い気がする。相手は「自分の大事な子どもが、嫌なことをされた!言われた!これはまた繰り返し起きることがらだ、いじめだ!」と思っている。長男とその友達はそんなことしていないけど・・・とその子の親に話したらしい。ふ~。とため息をついた。

で、どうするか?である。

悪いと思ってなくてもとりあえず謝罪できる自分もいる。子どもたちの今後の過ごしやすさを考えれば、謝るだけでいいなら、お安いものである。こういう態度もいかがなものかとも思うが、真実なんてそれぞれで、子どもたちに根掘り葉掘り聞いてジャッジを下すことなど無意味だ。相手の親は謝罪を求めているようだった。謝って済むならそれでいい。

しかし、この時、自分の子どもの言っていることを信じるならば、悪くないのに謝るのは、嫌だなと思う自分がいた。

面倒臭さ度1000%くらいになっていた私は、面倒臭さの中で考えた。そして行き着いた。「じゃあ、どの部分に対してなら、自分にも誠実に相手にも誠実に謝れるのかな?」う~ん・・・面倒だなぁ・・・と唸りながら、「相手が嫌な思いをした、という事実に対してであれば気持ちよく謝れるな。」と思ったのだ。そして、その後、何かが繰り返し起こることはなかった。

長男にも、この事で何か問いただすつもりなどなかった。ただ、「お母さんは、あなたが嘘をついてても、ついてなくてもどっちでもいいと思ってるんだよね~。」と軽い調子で言った。すると、長男は、すべてを見透かしているかのように、言った。

「あのさ、お母さん、いつだって本当のことは自分自身が知ってる。だから、心配しなくて大丈夫だよ。」

いつだって、本当のことは自分自身が知っている。

この言葉に助けられている。そして、それを体現している長男に救われることもたくさんある。世界で一番面倒な事だと思われる人間関係は、私や子どもたちを前に進ませてくれるし、立ち止まって考える機会を与えてくれる。

しかし、正直に言えば、できるだけ面倒でない人間関係の中で限りなく楽しく暮らして行きたい。私の「今」という時間は限られているのだから。

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学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!