さらば青春の印刷屋

いったい、この道を通るのは何年ぶりか。
それも思い出せないくらい久方ぶり、ふとした弾みでその懐かしい通りをすんどめパターソンが横切ったとき、
「あ……」
学生時代さんざん世話になった印刷屋が、忽然と消えていた。
風も生あたたかい、春の昼下がりのことである。

すんどめの青春時代、その小さな印刷会社は、暗くクサくて汚くて今にも倒れそうなビルの、右半分を占めていた。
そして、この倒壊寸前のビルの左半分は、とある左派政党の常設事務所となっていた。
それもそのはず、くだんの印刷会社は同党機関紙の地元版を印刷する会社なのである。
風前のともしびめいたボロビルの、左と右を仲よく分け合い、かたや政治活動に、かたや印刷活動に、手に手をとって闘争の邁進の弾劾の糾弾の糾明の殲滅の大進撃を、長年にわたっておしすすめてきた間柄である。
なぜ、すんどめはこの会社とかかわりを持つようになったのか。
それは、すんどめの高校・大学時代に所属していた新聞部が、ともに同社の客だったからである。
それにしても面白い会社だった。
なにしろそうした政党とグルであるから、天皇誕生日は会社が休みにならない。
元気いっぱい営業しちゃうのである。
労働者の敵なんだか味方なんだかよく分からんのである。
また、校正のためにこの印刷会社を訪れると、オフィスで社員どうしが仕事合間の世間話に、
「さーて。こんどの選挙もがんばるぞっ」
「おーっ」
くり返すが、ここは街の印刷会社。
どっかの選対本部ではないのである。
しかし思うに、こんな会社が世の中に1つぐらいはあってもよいのじゃないだろうか。
こういうキモい会社が街に1つもなくなったら、それこそキモい世の中だろう。

いずれにせよそうした会社であったから、学生にはとことん優しかった。
学生に限らず、PTAや同窓会の会報、小さな企業の社内報、サークルの部誌など、いわゆる超ミニコミ紙に優しかった。
少部数でまったく儲けにならない小口の客に優しかった。
世のミニコミを助け、情報の民主主義を支えるのは俺たち街の印刷屋さ、とでもいわんばかりの気風に富んでいた。
優しかったというのは、具体的に言うと、ハナハダ安かったのである。
すんどめパターソンは知っている。
この会社の印刷料金は、他社比で3割安――という衝撃的な数字を。

あれは、すんどめの高校新聞部(ブン部)時代のことである。
わがブン部は、むかしからA社に印刷をお願いするならわしであった。
A社もまた、部数の少ない薄利の個人客を大切にする、気合の入った街の印刷屋さんである。
なかでも高校新聞はA社社長の「道楽」であり、高校生がカワイくてたまらんというこの社長、高文連新聞部の新聞コンクール審査員を長年務めるかたわら、儲けを度外視して各高校のブン部から受注をしてきた。
社長の息子がOBだというので、わが母校とは特に関係が深かった。
すんどめが1年生のときも、もちろん伝統にのっとってA社へ発注。
部数はたしか2,000部そこそこで、すんどめの記憶がどんなに間違っていたとしても5,000部には遠くとどかなかったはずだ。
いわゆる商業紙の半分サイズで、たったの4面(4ページ)。
むろんモノクロ。
それで費用は、ああ、19万。
いっぽう当時のわれわれブン部の年間予算は、21万。
たった1号の発行で年間予算のほぼすべてがふっとぶ、われわれ高校生には鼻血ブーたる戦慄の出費であった。
社長の道楽でやっているA社さえ、これである。
DTP(デスクトップ・パブリッシング=自前のコンピュータを使った編集)以前の世界とは、こんなものだったのだ。

ちなみに「DTP以前の世界」という日本語は、現代ではまったく意味不明なものであろう。
説明しよう。
これは、記事をすべて原稿用紙に手書きで清書し、「割り付け用紙」と呼ばれる、今ではどこを探しても売っていない専用の紙に、レイアウトの指示や見出しの文言と地紋(背景の模様)の指定を記入。写真の紙焼きとともに印刷屋さんの営業マンへ渡すという、前近代的な世界のことである。
ヤーイ、想像できないだろ。

そんな前近代、否、原始時代の末期。
すんどめが2年生のときに、新しい顧問がやってきた。
新しい顧問は高校新聞の顧問歴が長く、業界通であった。
が、それは古い顧問もいっしょで、かつ、古い顧問はわが母校の出身であった。
したがって古い顧問は、ブン部の顧問というだけでなくOBとして、同窓会の機関紙やらPTAの会報やら、校内のさまざまな印刷物にかかわっていた。
当然、各社の営業マンらに顔が利く。
A社だけでなくおびただしい数の会社が学校へ営業をかけてくるわけであるから、そこはそれ、長年のしがらみと全体のバランスとを考慮し、
「やれブン部はA社」
だの、
「それPTAはB社」
だの、
「これ同窓会誌はC社」
だの、
「あれ図書局だよりはD社よ」
と、うまいこと談合して配分して護送船団方式でヨロシクやっていくのが自民党政治55年体制の慣例というものである。
そうした高度に政治的な決定の一翼を、古い顧問は長年担ってきた。
むろん、これら多くの取引先の中に、例の政党機関紙を印刷するボロビル会社も混じっていたことは、言うまでもない。
そこへ、新しい顧問がやってきたのである。
こうしてブン部は、新しい顧問と、古い顧問と、そしてすんどめとの、トロイカ体制に移行した。
新しい顧問は言った。
「すんどめ。印刷会社を代えないか。A社やめて、ボロビル社にしないか。そのほうが安いから」
新しい顧問は、あくまでもブン部のためだけを考えてそう言ってくれた。
多くの業者の思惑が絡む学校全体のバランスなど、無視した発言だ。
ある意味では、これは非常にありがたいことだ。
学校を犠牲にしてでもわれわれブン部を救おうとしてくれたのだから、顧問のかがみといえば、まあ、かがみではある。
しかし。
そんなことをしたら古い顧問がキレ出し、
「すんどめ! 俺に相談もなくあいつの言うこと聞くってどういうことだお前! 俺がボスなんだぞ!」
暴れ出すに決まっている。
古い顧問は本当にそんな人で、過去に別件で上のセリフをそのまま言ったことがある。
これはイヤな予感がする。
このまま放っておけば、めんどうなことになりそうだ。
すんどめは一計を案じ、善は急げとばかり、新しい顧問には無断で古い顧問のところへ行き、
「先生。今年もA社にそろそろ注文したいんですけど」
「おう、もうそんな季節か。ちょっと待ってろ。いまAに電話するから」
そのまますんどめはA社の営業マンと電話で話し、例年通りの注文を済ませてしまった。
19万かかってしまうのもしようがない。
だいいち、19万かかるという前提で年度当初から21万の予算を認められたのだ。
いまさら節約してみたところで、余った予算を来年度から削られるだけだ。
おまけにA社と母校がもめ、保守談合勢力が左派抜け駆け勢力を攻撃する事態に発展しても面白くない。
これでよいのだ、これで。
電話を終えたすんどめは、古い顧問に礼を言い、退出。
そのまま何の気なしに便所へ寄った。
するとどうだ。
新しい顧問が偶然にも便所へ現れ、すんどめと連れションになったではないか。
「あ、先生」
「おう、すんどめ」
連れションをしながら、われわれは会話をした。
「すんどめ。今年の活版、A社やめてボロビルにしないか?」
あんのじょう、放尿とともにまた言い放ってきたのだが、その一瞬。
すんどめはわざと驚いたように、かつ困ったように顔をゆがませ、
「うわーっ。もうAに注文しちゃいました!」
「あ、注文しちゃったか。じゃあしょうがないな」
間一髪。
かくしてすんどめは、そそっかしい慌てもののドジをよそおい、地球の平和を守ったのである。

それから1年後。
すんどめは3年生だから引退し、なにも知らない1年生のかわいそうな女の子たちが仕切る時代となった。
彼女らは当然のごとく新しい顧問の口車に乗り、甘言を弄され、篭絡されてボロビル社へ鞍替えをした。
すると印刷費は、なんと14万にまで下がったのである。
さすが学生新聞に優しいボロビル社。
A社比で3割も安いとはすさまじい。

このように格安のボロビル印刷。
安いだけでなく、ツケもきいた。
すんどめは高校を卒業後、大学新聞に入部。
この大学のブン部が、またもやボロビル社の常連だったのだが、いちばん多いときで100万を超えるツケがあったように思う。
実際わが大学のブン部は、
「いいじゃん、いいじゃん。読者に借金するよりは、ボロビルに借金したほうがさ」
という部風であった。
このように学生に優しい会社ではあったが、その代わり、謎の誤植は多かった。
本当に、この会社の誤植には泣かされた。

これまた今の世では死語となってしまったが、誤植とはミスプリのことである(ミスプリも死語か?)。
DTP以前の印刷業界では、テキストもデータ入稿ではなく紙に指定しての入稿であったため、古くは写植工と呼ばれる職人さんが1文字1文字、自分の目で読んで拾っていった。
したがって、依頼者が正しい字で入稿したとしても、写植工のミスにより誤字脱字の発生することがあった。
これがいわゆる誤植であり、オフセット印刷などの後継技術普及後も、ミスが起こるメカニズムの基本は変わらなかった。
のちに、DTPの普及によりすべてがデータ入稿となって、初めてどんな誤字脱字も依頼者の責任となったのである。

いちばん泣いたのは、広告主の名前を間違えやがったときだ。
この広告主の担当がすんどめであったため、切腹を覚悟した。
さいわい広告主の社長がいい人で、
「ああ、いいんです、いいんです! 印刷屋ってのはそういうことをやらかす連中なんですよ。あたしも今まで何回ひどい目にあったことか!」
……いや、あの、社長。
印刷屋さんとの出会い、悪すぎません?

さて……
そんな、学生には優しいが仕事もなかなかに杜撰であった懐かしの会社が、忽然と姿を消した。
何があったのだろう。
内ゲバで死んだか?
すんどめはすぐにググった。
するとどうだ。
今では郊外に引っ越したというではないか。
グーグル・ストリート・ビューで見たところ、大変にきれいな自社ビルで、ボロのおもかげもない。
しかも、しかもである。
ここがいちばん肝心な点だが、例の左派政党の看板が、見当たらないのである!
つ、ついに手切れか? 
ハッ……!
ということはもう、ミニコミ誌にツケを、許してくれなかったりなんかしちゃったりするのかどうなのか。

拙著『シェーンの誤謬』 ここから購入できます
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYT4Q65/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?