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苦手でいいし、苦手が良い。

「嫌い」って結構怖いなと思ったので、最近は食べ物にでさえも「苦手」という言葉を宛がう。

22歳。苦手なことは全否定だと気が付いた。全否定をすることもされることも両方苦手。ここで「全否定は嫌いです」と言えばそれは全否定を全否定してるわけなので、苦手と言っておく。

大学時代にできた一生モンの友たちは、今思えば肯定の神だった。彼女たちが私にウケた理由の一つは確実にこれだ。他人を全否定しない彼女たちだったからだ。

そんな肯定の神(友だち)の一人が卒業式の日に手紙をくれた。自称手紙マニアな私は綺麗事じゃなく本気で、貰っていちばん嬉しいプレゼントは手紙だと思っている。なので、彼女がざら紙に書いた一言一言、一文一文が宝物になった。その宝物の中にこんな風に書かれていた。

〜と出会って人と違うことが面白いことだと知れた。

そう、私たち6人は選ばれし6人じゃないんか?って思えるくらい、全員が全員肯定の神だと思う。

6人で集まれば、ひとつの話題を全員で話すなんてことはまずなくて、バラバラとしていた。1対1、もしくは数人に分かれていたが、とにかくバラバラとしていた。その誰と誰が組み合わさってどんなペアになろうとも、上手くいっていたし面白いまであった。

肯定の神と言ったけれど、「とりあえず肯定 の神」の方がしっくりくるのかもしれない。私たちはバラッバラで似てないところの方がきっと多いからこそ、とりあえず肯定した。その上でそれぞれの考えの行き先は意外とバラけていた。行き先が違うこと、それが良しとされた。

とりあえず肯定しようぜ。と決めた。なんか優しいやんそれって。

あったかくなれ、私の身近。

そんなことを強く叫びたかった(叫ぶ勇気は無かった)3月も、もう終わろうとしています。

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