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食べ放題での心持ちの話

こんばんは。

なかなかタイ編が更新できてないのですが、ポツリと思ったことをひとつ。

私は食べることが大好きです。
親戚の中に高身長の人はいないのに、誰よりも高くなったのは、よく食べよく眠り良く遊んだから、と自負しています。

昔からご飯をお代わりし、年末年始の集まりのご馳走は自分の分をぺろりとしたら、一人前が食べきれない他のいとこの分を助けたりしていました。よく食べる子どもでした。

時は経ち、私の胃袋>=人並みぐらいにはなってきました。
量が異様に多い旅館の夕食などを食べる場面では、家族が食べきれない分をなんとかする役目なので、火事場の馬鹿力で一人前以上は食べられますが。

基本的には、食べることが好きです。

でも、最近「食べ放題」が苦手になってきました。(飲み放題も含む)
考えうる理由はいくつかあって、

1️⃣元を取ろうとしてしまうと、美味しく食べられる範囲を超えて苦しくなり、辛い思い出になる2️⃣この余ったご飯はどこに行くんだろうと考えてしまう
3️⃣同行者に気を遣う
などなど。

ご飯が残ってしまうのって、見てて耐えられないんですよね。何とか手を尽くしても私の胃袋が耐えきれず、「私にはどうすることもできない…ごめんね…」と残ったご飯に後ろ髪引かれる気持ちで場を後にすることもしばしば。

とある宿で、朝ごはんに花豆が入ったお赤飯がおひついっぱいに出てきたんですが、家族はやっぱり途中でギブアップして、こんなに残ってはお米がかわいそうだと言って私が食べきったのは逸話になってもいいはずです。

その後、チェックアウト時にそのお赤飯がおにぎりになって、お持たせされたときの私の気持ちは言葉では言い表せません。初めからそうして貰えばよかったわ。美味しかったけど。

限られた時間の中で、どれだけ食べたら元が取れるんだろう、って考えながら食事するのが辛いです。
そんなこと考えない人もいると思いますが。

最近は行くことが少なくなった食べ放題ですが、また今後飲み会やら付き合いで増えてくるんだろうな〜と思うと非常に憂鬱です。
あんまり飲み会や食事会には参加しないんですがね。

でも一つ考え方を変えると、楽になることに気づきました。

この前タイで最終日の夜に、お高めのホテルビュッフェを楽しんでいた時に相方に話したのは、

「たとえば中華料理屋に行って、エビチリ食べたいな、チンジャオロースも食べたい、でも麻婆豆腐も食べたい…って時に、全部頼んでたら胃袋には限界があるのにキリないし、お金もかかるでしょ。
でも、ビュッフェにしたらいろんな種類のメニューを食べることができるじゃん?つまり、その色々食べられるっていうのにお金を払ってると思えばいいんじゃないかな。あとは、こんなに大きな規模感で、働いてる人もたくさんいるから、その人たちへのお金だと思ったらいい。」

です。
相方にはすごくいいね、と言われました。
だから、いちいち注文するタイプじゃない食べ放題に関して(ビュッフェ)は、そう思うようにしてます。心持ちが変われば、純粋に食事が楽しめるはず。

どうしてもお金がちらついてしまう場合は、食べた料理の種類数で換算したらいいんじゃないかな。

もう私も大人なので、美味しく食べられる量での食事を心がけたいですね。無理せず、楽しい食事の思い出になるといい。

雑文でしたが以上です。おやすみなさい。

mocha

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