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2020年のお正月に思う

わたしはお正月が大好きだ。国をあげて「仕事なんで休んでゆっくりしようぜ!」というのんびりしたところがたまらない。ダラダラしていてもなんの罪悪感も抱かなくていい。だってお正月ってそう言うものでしょう?

だから、とあるコンビニの「お正月くらい休ませて」というニュースを見ると胸が痛い。こののんびりダラダラを欲しいのに手に入れられないで悲しんでる人たちがいるのだ。もちろん病院とか交通機関とか、休めない方々がたくさんいるのは百も承知。でも、命に関わったり無くなると生活が立ち行かなくなるもの以外については、休んでもいいんじゃなのかな?

一昨年、元旦に春菊を買い忘れたことに気づいた。で、とりあえずスーパーに行ってみたら営業していた。その上、結構混んでいた。自分も行ったクセに言うのもなんだけど、「年末に行っとけよ!なければ我慢しろよ」って思ってしまった。レジの人も本当は家族とテレビ見ながらビール飲んだりしたいと思うのです。わたしの「便利」のためにあの人の「のんびり」を奪っているのかも、と思うといたたまれない・・・。

誰かの「幸せ」を奪って得る「簡単・便利」なんてもうやめよう。と言いたい。ちょっとした不便の先に私たちの「幸せ」はあるんじゃないのかな?
お正月を快適に過ごそうと思えば、年末にいつもより必死に家事をしなくちゃいけない。大量に買い込まなくてはいけない。いつも快適さ苦労と背中合わせなのだ。快適さだけを求めているとどこかが歪んでしまう。

わたしが描くみんなが休めるお正月、なんて綺麗事ですけれどね。ええ。でも、綺麗事も言えないような世の中にはなってほしくないし、願わくば綺麗事が叶っていく世の中にしていきたいんです。

コンビニも全部が一斉に休むのは無理でも、緊急医みたいにいくつかだけ時間差で開けてみたりもできるんじゃないのかな?
わたしも春菊がなかったら、そこで小松菜やほうれん草を入れてみればよかったのかもしれない。そこでさらに新しい美味しさに気づいたり、無くても平気になったりしていくこともできたのかもしれない。

変えることは怖い。この怖さを減らしながら、幸せを感じる人が多くなるような仕組みを考えていくことが、きっとUXデザインを学ぶ理由に繋がっていると思っている。
だから2020年も動かぬ頭に鞭打って、学び続けていこうと思っている。

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