波みたいな音楽

土曜日にいった高木正勝さんのライブ。
京セラ美術館のプレオープニングで演奏されてた。
高木正勝さんはおおかみこどもの曲からきっかけでとても好きだったのだけれど、なかなかライブにいけなくて、やっと聞けてとても良かった。

まさか最初のいくライブがこんな形になるとは思ってなかったけど。
次はちゃんとライブにいきたい。

聴いてると、なんだか言葉と景色が浮かんできて、書こうとライブ中に思ってた。

波みたいな音楽って題をつけたけど、これが彼の音楽にふさわしいのかはいまいちまだ納得はしていない。

でも一つ感じたのは、体の内側から溢れてくる力みたいな、ノリノリに体を動かす音楽じゃなくて、内側がぐわんぐわん揺れる。
波動みたいに伝わってきて、体中を跳ね回っていくみたいな。
あまり感じたことのない感覚だった。

繭みたいな背景の中で、彼のシルエット、感情のこもった、表現する動きを見ているときは、なにか現実のモノじゃないというかスクリーンを通して見ているような気分だった。
彼の音楽を聴いていていると、背景の音にすごく耳がいくような気がした。京都という都市の中。

後ろの通りをはしるトラックの唸り。
風が吹き抜ける。
鼻をすする。
隣の人の衣擦れ。
咳払い、息づかい。
子供のなき声。

生きてる音たちが、彼の音楽と重なって、それらの音を邪魔だとは感じなかった。なぜかこういう音楽なんだなと感じた。

天幕、繭はうっすらと透けているくらいで、ライティングによってうまい具合にリアル感を薄れさせていく。音とともに、見える景色が変わり、彼の暮らしている山間の小さな村の風景をなんとなく思った。もちろん行ったことはないのだけれど。

弾むような、流れるような、力強い足踏みみたいな、弾き方と、彼の鳥だったり、獣だったりする声があいまって、いろんな季節を感じたように思う。

得難い時間だなとふと思った。

生命はよく波にたとえられるけど、音はくうきを伝わってやってくる波で、彼の音楽はそのことにとても納得感があった。

自然を背景に弾く彼の音楽が聴きたいなと強く思う。

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