僕が一番好きなことば、そしてタイムマシンが発明されない理由

僕が一番好きなことばは、

人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である

なんか気づいたときには僕のこころのなかにあったことばで、ずっとすきでした。

最高にワクワクしませんか?

世界でおこってることのすべてを監視できますか?
把握できますか?

できないでしょう?

世界は、時間は、同時多発的にいろんなところで進行するんです。

じゃあ、「そんなのありえない」なんて言えないと思うんですよ。

世界の反対側の路地の隅っこの埃の下とかに、話をしてる微生物がいるかもしれない。

今は死角になってる場所に、見てない場所で、ネズミと猫が、昔を思い出しながらチーズをかじって話してるかもしれない。最後はたべられちゃうのかもね。

一番深いマリアナ海溝の奥底で、人に生活圏を追いやられて、最後の砦としてほそぼそと生きている海底文明を築く知的生命体がいるかもしれない。

きっとありえないことなんでしょうねこれは。

でもおこっててもおかしくない、ありえるかもしれない。そう思わせてくれるのがこのことばなんです。

僕の人生を少し、いやけっこう豊かにしてくれたこのことば。

調べてみると、あのジュールベルヌが言ったとされることばだそう。

ジュールベルヌって海底二万里とか、十五少年漂流記とか書いてた人。くしくも僕が大好きな作品たちです。なんか運命?

でも彼がいったことばは

人が想像することは、必ず人が実現できる。

That people imagine, it is sure people can be realized.

でも、ちょっと違う。いやかなり違う気がする。なんか人間の可能性みたいなイメージを受けるけどそういうことじゃなくて、世界の可能性、夢のあることばなんです。

どうも僕が思ってたことばはそれを少し変えて、ONE PIECEの尾田栄一郎さんがつかったことばみたい。どのみち好きです。

きっと小学生くらいに読んで、こころにとまったんだと思います。

人が空想できるすべての出来事は起こりうる現実である。

このことばに応援されて、僕のタイムマシンが発明されない理由を書き留めたいとおもいます。

正確には

開発されないことになる

です。

おわかりでしょうか。

タイムマシンものの作品は大抵、時間をいじって大失敗し、それを戻すために四苦八苦するというものですね。

そして、最後には絶対につかってはいけないものとして封印、破壊されます。

時間をいじるってとってもやばいのです。
なぜならいじられたことにだれもきづけないからです。

もしもタイムマシンが開発されたとしましょう。
どうつかうんでしょうか。
どんな風につかったとしても、間違いなく世界は大きく変わるでしょう。
そして技術は大きく発展し、たくさんの戦争がおきるかもしれません。
開発された未来では人々はタイムマシンさえ開発されなければと、思うかもしれません。
世界が広い以上、きっとだれかはそう思うでしょう。
同じように最高だと思う人もいるのでしょうが。

そして、タイムマシンをつかって、タイムマシンのない未来をつくるのです。

このことをタイムマシンのない未来の人々は知らずにいきていくしかありません。

パラレルワールドってやつです。

僕は未来には絶対時をいじる仕組みができてると思うんです。

だって50年前からみたら、今は起こり得ない未来でしょう?

でも、時をいじる、世界が変わる、という性質上、未来の誰かがタイムマシンをなくしたいと思って、それを実行した時点で、僕らのタイムマシンの未来はなくなります。
それが繰り返されてるんじゃないでしょうか。
今の世界。
僕らの世界は12564番目の世界かもしれない。

ありえないなんてことはない。
だって世界は広いんです。

それに、タイムマシンをなくす際にやることってたぶん、開発する人を生まれないことにするとかじゃないんですかね?

だったらどんどん可能性減っていきません?

世界の可能性的にそのあたりはバランスされていきそうですけど。

まぁ、前からこっそり思ってたことなんですけど、

世界はもっとファンタジーでいいのにな。

とこころから思うので、書いてみました。

読んでくれたとっても物好きな方のみる世界にファンタジーがあふれるようになれば、すこしでもあの葉っぱの後ろで毛虫がキャンプファイヤーしてるかも、とかおもえるようになるならうれしいかもしれません。

未来の僕はこれを読んでどうおもうのかな?

恥ずかしかったりします?

それも悪くはないんじゃないですかね?と今はおもいますよ。

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