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もっと愛してごらん

1. 一日一回「愛してるよ!」って言ってみて

 幸せになる一番の秘訣は、愛されることを求めてばかりいないで、自分から愛を与えること。こんなことはみんな頭では分かっているけれど、なかなか実行は難しいよね。それなら、形から入ってみてはどうかしら?つまり、心で思っていることを、口に出して言ってみるわけ。「あなた、愛してるわよ」と勇気を出して言ってみましょうよ。「なにを言ってるんだ」と最初は取り合ってくれないかもしれないけれど、内心言われたほうは嬉しいものなのよ。そして、一番大事なことはね、言ったあなた自身がなんだかこの言葉の温かさに影響されてしまうってこと。なんだかわけもわからず、心がホンワカしてくるんだから不思議なのよね。そして、この魔法の言葉を自分のパートナー以外にも連発してみるといいかもね。自分の飼っているペットに対して、子供に向かって、愛用しているお台所用品に向かって、仲良しのお友達に、両親に、兄弟姉妹に、お気に入りのお洋服に、「おはよう。今日も素敵ね。愛してるよ!」

2. 素直

 大人になると、子供の頃には分かっていたし、ごく自然に出来ていたことが、なんだか難しく感じることってあるよね。そう、素直でなくなるってこと。例えば、「素敵なお洋服ですね。とてもお似合いですよ。」とほめてもらった近所のお友達に、「ありがとう!」って素直にお返事できる?「いえいえ、これなんてバーゲンで買った安物なの。私なんて年だし、何着ても同じなのだけれど、箪笥の肥やしにしてももったいないですし」なんて、謙遜しているんだか、卑下しているんだか。しかし、この姿勢はどうかな?せっかくほめてくれたお友達もがっかりするし、第一そんなに自信のない態度ではお友達が寂しがるよね。あなたのお友達でいてよかったって思われたいのなら、堂々と胸張って「ありがとう!ほめてくれて嬉しいわ」と答えましょうよ。素直イコール自分を愛するってことかな。

3. 人生の基本なのかな

 例えば、自分に自信を持つこと、人を信じること、人の過ちを許してあげることetc、こんなことは人とお付き合いする上で、当たり前のことよね。そう、基本的なこと。たぶん、みんな子供のときにお母さんから教わったことじゃないかしら?そして、こういったことは、お友達との間でならかなり実行しやすいよね。ところが、これが自分の愛している恋人や夫(妻)が対象となるとなんだか難しくなる。つまりエゴがむき出しになってしまうから、ついつい相手に辛く当たってしまうのよね。でもこれは残念なことよね。それなら、思い切って子供に戻ってみましょうよ。そして、素直な一言を恋人や夫に投げかけて見ましょう。
「仲良くしようね。何して遊ぶ?」

4. またしても愛

 人は他人を愛することが大切だと皆口をそろえて言いますよね。確かにそうだと思います。其のこと自体には全く異論はないのよね。でも、人を愛するためには、まず人の愛をしっかり受け止めることも一方でとっても大事なことだと思いますよ。人の愛を拒み続けながら、其の一方で人を愛することにあまりに頑張りすぎる時、人は自分を見失うのではないかしら。最近よく、燃え尽きると言う言葉を耳にします。一生懸命人に尽くして尽くして、ついに自分の心が乾ききってしまう。


 大人になるということは、まず人の愛を受け入れることが大前提にあると思うのね。どんなに子供の頃に辛い経験をしていたとしても、どんなに冷たく大人たちにあしらわれてきたとしても、愛は無限なのです。いくらでも湧いてくるんですよね。また裏切られるんじゃないかな、なんて恐れないで下さいね。いいえ、仮に裏切られたっていいじゃない。あなたを愛している人は広い世界にたくさんいるのですよ。

5. なんだか悲しくなるね

 以前、ある番組でとても可愛そうな老犬の話が取り上げられていました。確かムツゴロウさんの番組だったように記憶しています。犬の世界ではボスに対して、まず仰向けになってお腹を見せて「私はあなたに服従しますよ」という行為をするんだそうですね。相手にお腹を出して見せるには、きっと犬にとって大層勇気のいることだと思うの。でも、そこをクリアーしないと犬社会には受け入れてもらえないので、どうして超えないといけない関門なわけ。


 ところがその老犬にはどうしてもそれができず、ずっと犬の社会からつまはじきにされ続け、そして歳をとってしまった。犬社会からは疎外されていたものだから、やむを得ずムツゴロウさんの奥様が家の中で面倒を見て可愛がっていたようです。臆病で臆病で、でも愛されたくて、其の老犬は死ぬまで奥様のそばから離れることなく、お手をしたりお座りをして見せてしていました。其の必死な様子からは、「僕寂しいよ。怖いよ。一人にしないでね。愛していてね。」そんな声がテレビの画面から聞こえてくるようでした。なんだか其の様子を見ている間に、こっちまで切なくなってきて、隣で一緒にテレビを見ていた母などはポロポロと大粒の涙をこぼしていたんです。


 なぜあんなに悲しくなってしまったのかな。あの番組はもう20年近く以前に見たものだったんです。それでも、今だにその場面を時々思い出すというのは、何か私の心の琴線に触れるものがあったのでしょう。これは自分と重なるのかもしれない?


臆病な心はいくらごまかしても、いくら本人はうまく取り繕ったつもりでも、人には見えてしまうものなのでしょう。だって、画面を通してさっきの年老いたワンちゃんの心ですら伝わってくるのだから。本当になんだか悲しくなるね。それならいっその事、誤魔化すのを辞めて、必死になるのを辞めて、「僕、とても臆病なんです。でも少しずつ勇気を持てるように努めているんだ。だから応援してね」と言ってしまった方が本人も、そして周りで見ている人たちも楽だと思うのだけど、どう?案外、「あ、そうなんだ。僕も結構怖がりだよ」とか、「みんな同じだよ。私も実は内心怖いよ」、なんて共感してくれる人も現れるかもしれないよ。さあ、勇気を出してみようね。

6.やりたいことをやってみる

 毎日をあわただしく過ごしていると、ゆっくり想像する時間が持てなくなるよね。でも、どんなに忙しくても明日を夢見る時間、なりたい自分をあれこれと想像する時間は絶対必要だと思うわけ。それなのに時間に追われる日々を過ごしていると、自分の夢は後回しになってしまって、気がつけば自分が何を追い求めていたのか、徐々に感覚が鈍ってきてそれすら分からなくなってしまってね。


「昔はこうじゃなかったんだけど仕事が忙しいしね。」
「子供じゃあるまいし、そんな甘いこと考えていたって仕方ないよ。」
なんだか悲しくなるような言葉が返ってきそうですね。そして、来る日も来る日もあくせくとやらなきゃいけないことをやって、それなりの収入を得てどうにか生活できればまあいいのかなって考えたりして。これ、なんだかわかるような気がするわね。


 しかし大人が楽しんではいけないのかしらね。楽しいことや愉快なことに没頭したらいけないのかしら?もし、楽しみながら、そして収入も得られて、十分豊かな生活が出来るのであればそのほうが良いんじゃない?
「そりゃそうだよ。しかし世の中そんなに甘くないよ。」
「勿論そうしたいのは山々だよ。でもさ、、、」
 ああ、みんなのため息が聞こえてくるようだわ。そのため息の裏側にある本当の心は、やはり好きなことをして毎日が豊かになればいいのにと思ってる。じゃ、どうしてそれをしようとしないの?
「じゃ、君は出来てるの?」
 おっと、その質問はなかなか鋭いよ。そして、私の答えは、やはり私も長い間あくせくと毎日働いて働いて、本当にへとへとになるまで働いて、そこそこ普通の収入を得て生活は出来ていたかな。ただ、幸せを実感したことはなかったというのが本当のところ。だんだん諦めかけていたもの、人生と言うものをね。ところがある日、ふと思ったの。
「もうヤダ、こんな毎日。もう、残りの人生は好きなことをして生きてやる!」ってね。
 「覚悟を決めて自分のビジネスを立ち上げ、好きなイラストとエッセイを思う存分描いて書いて生きて行くもん!」
 一旦決めてしまったら女は強いよ。もう清々するのなんのって。確かに決断するまではかなり迷ったわよ。しかしね、両手に荷物を持っていると別のもっと欲しいものを掴み取ることはできないでしょう?だから、片方の手に持っていた荷物を下ろして、もしくは捨てて、そうしたら新しいものを掴むことができるからね。
 捨てることで得られる夢もあるってことかしら。

7.魔法のことばSmile

 私の大切なお友達に、それはそれは素晴らしい笑顔を持っている方がいらっしゃいます。彼女はいつも言っています。


「いろいろ辛いことがあってもSmile!そうすればきっとうまく行くよ。さあ、笑ってごらん。Smile, smile !!」


 彼女はそう言いながら両手をぱっと広げて会う人会う人を抱きしめてくれます。人に会うときは、心の底から嬉しそうに目を細め、満面の笑顔で包み込んでくれます。きっと、実際の生活では誰もがそうであるように、彼女にだって辛いことや悲しいことや腹の立つことがあると思うけれど、そんなことを微塵も感じさせない明るさと強さ、そして芯の強さが彼女には備わっているのです。


 なんて素敵なことなのでしょう。そういえば私も小学校に上がったばかりの頃に母から言われていたことがあります。
「いつもニコニコしていなさい。」
「はい」なんていいお返事をして学校に行ったものです。そして、まだとてもとても素直な子供だったから、本当にお母様のお言いつけを実践していました。するとある日お友達に言われたのね。
「あなたっていつもニコニコしてるね。」
 これ、すばらしいでしょう?
 ところが学校のお勉強が皆目出来ていなかった私には、そのお友達のことばが
「なんだかアホみたい!」って言われたような気がしていました。そしてなんだか難しい顔をしているほうが頭のよい子のように思えて、ある日ニコニコするのを辞めてしまいました。今に考えるとなんだかおかしいし残念なんだけど、そのときは本当にそう思ってました。


いつもニコニコしていることの本当の素晴らしさと大変さが分かったのはずいぶん大人になってからです。よし、今からでも遅くない。始めようかな!
「Smile, Smile!!」

8.朝ごはん

 最近朝ごはんを食べずにお仕事や学校に行く人が増えていますよね。コーヒー一杯飲んだだけでかばんを抱えてバタバタと最寄の駅へ突進したり、駅の売店で缶コーヒーを飲んだだけで朝食は終わりなんてね。うーん、なんだか侘しいなあ。
でも何故食べないの?
朝は時間がないから?ダイエットしているから?それともなんとなく今風でいいからなのかな?きっと人それぞれの理由があると思うのだけれど、前の晩から「明日の朝ごはん、何を食べようかな?」ってお布団の中でニタニタしながら眠りにつく私としては理解に苦しむわけ。だって、食べることは楽しいもん。一食たりともぬかしたら損、損!


そんな私はよく子供の頃のことを思い出します。うちは必ず朝はご飯とお味噌汁だったから、台所からまな板のトントントンという軽快な音と、なんとも食欲をそそるかつおやイリコのだしの匂いで毎朝目を覚ましました。お布団の中で、その音と香りを味わうと、なんとも言えない幸せな気分になったものです。家中が母の愛で満たされていたような感じがしていました。お味噌汁の具はもう色々で、まさに無限大と言っても良いくらい。   
わかめとお豆腐、お豆腐と油揚げ、厚揚げとさやいんげん、かぼちゃとおねぎ、油揚げともやし、白菜と油揚げ、しいたけとお豆腐、ふとおねぎ、白菜を卵でとじたもの、じゃがいもと玉葱、わかめとジャガイモ、などなど。どれもこれも、どこの家庭にもあるありふれた食材ばかり。家庭のお味噌汁は具沢山で、経済的で、栄養バランスもよくて、そして愛情が一杯。ねえ、素敵でしょう?


おまけに、私の母の口癖が、
「ご飯をしっかり食べなさい。遅刻しても良いから食べなさい!」というものでしたから、本当に遅刻しそうになったことが何度かあったように記憶しています。そこまでして、食事を取らせてくれた母に、今はただ感謝です。気性の荒い父の手綱をしっかり持ちながら適当に自由に泳がせていた大きな母です。その母の強さの源は、案外朝ごはんと一杯の味噌汁にあったのかもしれません。


まさに食は愛也!

9.豊かさ

 日本は大層豊かになりました。欲しいものが何でも手に入る、やりたいことが何でも出来る自由な国。それならさぞかし日本の国民は幸せなことでしょう。ところが、毎年多くの人たちが人生に絶望し、心の重荷を背負いきれなくなり、そして人知れずたった一人で自らの命を絶っています。寂しかったり、悲しかったり、切なかったり、苦しかったり、そんな様々な思いを背負ったまま愛する人たちの下から去って行くのですよね。


 豊かな国なのに何故こんなことになるの?どうして?
 私が中学生の頃に、二人の同級生が学校を去っていきました。二人とも、来る日も来る日も同級生に苛められて、ついに耐え切れなくなった二人は学校を辞めました。幸い二人とも命を絶つことはしませんでしたが、死にたいくらい辛かったと思います。だって、同級生に、自分のお友達になってくれるはずの人たちに、束になって苛められたのだからね。


「ごめんね。」


決して私は彼らを苛めはしなかったけれど、傍観していたのだから同罪です。今ここで懺悔しても何にも始まらないけれど、「止めなさいよ!」という言葉を発することの出来なかった私も弱い人間の一人でした。
「苛めるほうも悪いけれどね、苛められるほうにも非はあるはず!」とよく言われます。
確かにそうでしょう。正論だと思います。苛められる側にもし勇気があれば、言い返すことが出来るくらい強ければまず苛められたりはしないでしょう。苛める人間は、相手が弱いと思うと、執拗に攻撃を仕掛けてきますからね。しかし、前に書いた老犬のように、どうしても勇気を持てない人間もいますよ。成長にやたら時間がかかる人間だっていますよ。だって、人それぞれ成長の速度は違いますから。しかしだからと言って、成長の早い人間が偉くて、遅い人間を苛めていいわけありません。


「強気をくじき、弱きを助ける正義の味方」というのがヒーローでしょ?なら、ヒーローになってください。強い方々にお願いです。苛める代わりにどうぞ弱い人を励ましてあげてください。先を歩いている方にお願いです。苛める代わりに弱い人の成長をじっくりと待ってあげてください。早いだけが正しいわけではありませんもの。じっくりと成長を楽しんだって良いじゃありませんか。頭の良い方にお願いです。どうすれば楽しい国が出来るのか考えてください。ご自分が良い成績を取るだけで終わらせないで、その優秀な頭脳をみんなのために役立ててください。どうやって役立たせるか、その方法はきっといくつもあるはず。


いったい本当の豊かさってなんでしょう?経済の豊かさイコール心の豊かさではないことだけは確かなようです。物質的・金銭的なことがらに惑わされない優しい心と大きな愛が大切なのでしょうが、難しいですね。決して経済的に豊かになることがいけないわけではないと思いますが、それがすべてになっては台無し。人間にはバランスが大切ですね。
心と物質。良いバランスが、よい社会を産む原動力になるのかしら。

10.嘘

「人に嘘をついてはいけません!」
「ハイ」


 子供の頃に必ず正直に生きることの大切さを親から教わりますよね。そう、人をだましたり、裏切ったりしてはいけないってことは理屈では良く分かっているのだけれど、これが結構難しかったりするのよね。嘘の辛いところは、一つ何かの嘘をつくと、そのつじつまを合わせるためにまた別の嘘をついていかなくちゃいけないでしょう?つまりうまく嘘がつける人って相当頭がいい人なのよね。詐欺師に頭の悪い人はいないでしょう?ただ、その頭脳の使い方が間違っているだけ。


 人が何故嘘をつくのかというと、恐らく自分の欲しいもの、欲しい結果を得るために嘘をつき、人をだましていくわけでしょうからこの上なく自己中心的な言動を取っていることになるし、いかにも上手く世の中を渡っているように一見思えるね。


「上手くやって得したよ。しめしめ!」ってね。
 ところが、ここに恐ろしい副産物があるようなんです。それは、いつもいつも嘘をついていると、そのうちに自分自身にも嘘をつくようになる。もっと恐ろしいことには、自分の本心すらわからなくなるってこと。自分で自分の心が分からない。感じることすら出来なくなったとき、そこに喜び、悲しみ、怒り、憤りを感じることの出来なくなった自分がいることになる。これで幸せと言えるだろうかってこと。仮に、豪邸に住むことが出来たとしても、嘘に嘘を塗り重ねて得た富に安住の場所はこの地上のどこを探してもないだろうと思うよ。


 正直になりなさいって子供の頃に親から先生から教わったのは、其の大人たちがみんな嘘の恐ろしさを知っていたからかもしれないね。もうここらあたりで取り繕うことを止めにして、誤魔化すのも止めにして、ありのままの自分をさらけ出してみようよ。結構楽だよ!

11.友よ

 それほど多くの友人を持たない、どちらかと言うと大人しくて交際下手の人間にとって、否、交際下手な人に限らず誰にとっても、親友を失うことはとてつもなく悲しいことですよね。ある人は交通事故で大切な友を失い、またある人は病に倒れ夢半ばでこの世を去っていった友人にいつまでも切ない思いを抱き続けている。どんな形であれ、友がこの世からいなくなってしまうのは悲しいものです。


 しかし、もっと切ないのは、この世にちゃんと生きているのに、そしてその友人の所在も分かっているのにその友を失ってしますことです。誤解、行き違い、喧嘩、お互いに理解しあえないことへの憤り、どれをとっても辛いですが、さらに辛く悲しいことは、全く原因が分からないまま、黙ったまま友人が自分の殻の中に閉じこもってしまうことではないかと思います。無理に殻をこじ開けることが出来ないもどかしさ、しかも其の原因が分からず、何か悪いことを言ったのかしら、気分を害するようなことをしたのかしら、とあれこれ思案することの辛さと言ったらありませんね。


「何故?」という問いかけに、無言の返信を送ってくる友人に何ができるのかなって。そこで、またあれこれと思案するんですよね。そっとしておく、無理に殻をこじ開ける、一切を期待せずただメッセージを送り続ける、それともそれ以外の何らかの方法を取る(といいながらそれ以外の方法が思い浮かびませんが)。うーん、難しい。しかし、これだけは言えるかな、と思うことがあります。それは、無言であれ攻撃的な反応であれ、その人は心の中では常に他人を求めていることです。できれば何らかの形でアクセスをし続けたいもの。それは、電話でもメールでも、一片の詩でもなんでも。


 カナダの企業家で作家でもあるキングスレイ・ウォードはその著書『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』の中でこんな風に言っています。


「好ましい友好関係を結ぶためには、あるいは維持するためには、手を差し延べること、時間、思い遣りや気配り、月に一度は電話をすること、二ヶ月に一度ぐらいは昼食を共にすること、などが必要である。あまり間隔を置きすぎないように。友情には手入れが必要である。牧場の策を定期的に点検し、修理して牛の逃亡を防ぐように、友情の絆を点検し、ほつれを繕って、せっかくの友人が怠慢のせいで離れていかないようにしなければならない。」


 一番切ないのはその友を忘れようとし、本当に忘れてしまうことでしょうか。どうか、傷付きやすく、遠慮がちな心優しい友達をいつまでも大切にしてくださいね。

12.下町

 仕事の関係でしばらく大阪の下町に住んでいました。ほんの2年間でしたが、大阪の東淀川区に狭いワンルームマンションを借り、窒息しそうになりながら仕事に励んでいました。我ながら実によくがんばったと思います。自宅に戻っても「おかえり」と優しい声をかけてくれる人もなく、ペットすら飼えない状況で、小さなテーブルで食事をし、お風呂に入ってから音楽を聴きながら眠りに就く。その次の日も次の日も同じことを繰り返す毎日。かなり無理をしていたように思います。心底疲れていました。


 そんな味気ないワンルーム中心の生活ではありましたが、唯一潤いをもたらしてくれていたお気に入りがいくつかありました。まず、思い出されるのが近所にあった銭湯でした。今時の銭湯なら、露天風呂あり、滝のような装置あり、ジャグジーあり、サウナあり、レストラン等々様々な設備があるものですが、私が通っていた銭湯は実に古風で、それほど広くない湯船とジャグジーが3セット、そして古くて狭いサウナが一つ。いつ行ってもお客さんは一人か二人。貸しきり状態であったこともあります。しかし、お陰で広い湯船に一人ゆったりと首まで浸かり、思う存分リラックスできました。これこそ至上の喜び、究極の贅沢かもしれない、なんて思いながら誰も入ってこないお風呂を独り占め。もう最高!


 こういう銭湯の懐かしいところは、まず番台があっておじさんかおばさん(失礼)がテレビを見るフリをしながら、結構新しいお客さんのことをチラチラみていたりするあたり。そして、時代がかった冷蔵庫に牛乳、フルーツ牛乳、コーヒー牛乳、それからラムネが入っているのが見え、ボール紙を中途半端に四角く切った紙に100円なんて書いて無造作に扉に立てかけてあるあたり。気取っていないのがなんともくつろげるのよね。「子供の頃を思い出しちゃうな」、なんて独り言を言って牛乳を飲み、一つしかないドライアーで髪を乾かして帰路に着く。まるでかぐや姫の『神田川』だよね、これって。


 次にお気に入りの場所だったのが、これも近所にあったお好み焼き屋さん。もう何年も使い込んだであろう鉄板が、いつ行ってもピカピカに磨き上げられている。コップもお皿も汚れ一つなく、梃子に軽量カップにお玉までピカピカ光って厨房の壁にお行儀よく並んでいたのね。この店主の心意気がホントに気持ちよかった。そして、自称お好み焼きフリークの私は今まで様々なお店でお好み焼きを食べてきたんですが、はっきり行ってこのお店のお好み焼きに比べたら、「まだまだ修行が足りん!」特に豚玉が実に美味しかったことを声を大にして言いたいね。この豚玉一枚を食べるために(これを週末のお楽しみにしていた私です)、一週間の仕事をがんばっていたような気がします。 下町というところは、気取りがなくて誰でも受け入れてくれる懐の深さがあります。しかしその一方で、ちょっとやそっとでは築けない歴史があってとことん入り込めないのも事実。お店になじみのお客さんが入ってきて、たぶんいつもの席に腰をかけるとなんだかまったりした空気が流れるのね。


「いつもの」
「あいよ!」


 少し嫉妬に近い感情を抱きながら、そんな二人を見ていました。
 今、大阪の部屋を引き払って神戸に戻っている私ですが、時折無性にあのおかみさんの焼いてくれたお好み焼きを食べに行きたくなります。
「おばちゃん、また来たよ。いつもの。」
「あいよ!」

13.侘びた料理

 自慢じゃないけど私の住んでいたところは田舎でした。悪いけどかなりの田舎でした。一言で神戸市と言っても広うございまして、私が住んでいたところは半端でなく田舎です。どれ位田舎かというと、まず近所のコンビニに歩いて片道20分、往復40分の運動コース。そして、朝はご近所(といっても、間に竹やぶと空き地と畑がある)が飼っている牛の鳴き声で目が覚めるんです。朝の散歩コースにはたんぼのあぜ道が入っていますしね、お店はないけど、田畑と山と池と用水路があちこち村中巡っていて、自然はたっぶりあるわけです。


 そんな田舎ですから、そうおいそれとは買い物にいけませんよね。一週間に一度週末に車で隣町に出かけて買いだめするわけです。しかし、よほど買い物リストを入念に作らない限り、買い漏れが出てくるよね。ちょっとそこまで白菜とほうれん草とお葱を買いに行って来るってわけには行きませんから。


 ところが、ところがです。田舎には都会の便利さに匹敵する素晴らしい魅力があるんですね。その魅力とは、そこここに自生している野草なのです。毎年春先になると、まずいたどりがニョキニョキとまるでムーミン谷に生えているみたいに顔を覗かせます。ふきも顔を出しますし、土筆(つくし)も可愛い顔を出してきますし、そしてまだまだありました。わらびにぜんまい、それから蓬(よもぎ)です。おおばこ、じゅうやく、そして破竹もニョキニョキ。あっちでもこっちでも春になるのを待って、一気に地表にHello!ってわけです。


 そして、これらの野草が結構いい食材になります。雨上がりの早朝、竹かごと軍手を持って野道をテクテク。そして、まず土手に生えているいたどりですね。いたどりはスギナの子供だそうです。親が見つかればその根元にちゃんと子供たちがすくすく育っています。その子供たちをつれて帰って結局食べちゃうのですが。そこには、暗黙のルールがあって、根こそぎ取って帰らないってことなんです。次に目にするのがわらびですね。これがまた美味しいのです。私に実家の前には小高い土手がありまして、そこに一杯生えています。ラッキーですよね。だって、「今日のおかずは、表に行って取ってくるね!」「いいね、今日は山菜オンパレードかな。」


 山菜の料理の特徴は、どれも下茹でをしっかりし、さらに灰汁をしっかりぬいておくこと。流水といってもそんなにジャージャー流さずに、蛇口から少しずつ水をたらす程度でよいから、3時間から特に灰汁の強いものは一晩水にさらします。其の上で、和え物にしたり、煮物にしたりして楽しむんです。こんな楽しみ、田舎暮らしじゃないと味わえない贅沢かもね。
 ああ、幸せ!
(ちなみに現在は神戸市の、かなり中心部に住んでいます。あの頃が懐かしい!!)

14.習慣

 人間、いい習慣はなかなか身につかないのに、悪い習慣はすぐついちゃう。おまけに一旦身についてしまうとなかなか元に戻らない。うーん、たとえば宵っ張りの朝寝坊。もう、これを是正するのは並大抵ではない。まず無理。まあ、一ヶ月か二ヶ月は心を入れ替えて早起きしましょうってがんばってみても、またすぐ元に戻っちゃう。


 「誰か何とかしてよ!」
 「無理!」


 そもそも、夜なんてものがあるからいけないんです。いったい誰が夜は寝るものと決めたんですかね。夜寝る人もいればおきている人もいて全く構わないでしょうに、やはり人間は太陽が昇れば寝床から起きだして、そして太陽が沈めばそろそろ仕事を終えて休みむもんだ!と昔からだれかが言い出して、そういうことになってますけどね。でも、これ困るんです。なかなか型にはまらない人間というのもいるんですから。


 そう、時には開き直ることも大事です。もういいんですよ。健康的な生活から逸脱しようが、三文がもらえなくともいいんです。
 私、朝は起きれません。
「ねえねえ、誰か明日のごみ捨てお願い!ね!!」

15.老い

 最近どうもパソコンの文字が読みにくくなってきました。フォントのサイズも10,5ポイントではとてもよみにくくてかないません。歳だからとふと寂しい感じが心をよぎりますが、それでも気を取り直して仕事を続けます。帰りの電車の中で新聞を読みながら、最近見かける大きな活字のページにホットため息をつく自分にまた苦笑い。


 電車に乗って、初めて高校生に母の席だけでなく私の席まで譲ってもらえたときの寂しさ。「ありがとう」といって、青年の優しい心に感謝しながらも、なんだかすっきりしない。譲っても不親切、譲らなくても不親切。これは、ジレンマですね。自分の体が自分の意識に追いつかなくなってきたとき、まだまだ気持ちは若いつもりなのに、なんだかいつの間にか肉体はこの世での消費期限に刻々と近づいていっているんですね。


 まだまだ心の中に残っている若さへの執着と時折蘇る肉体の欲にさいなまれながら、諦めきれない未練と執着が焦燥感をより一層募らせます。遣り残したことがあればあるほど、諦めきれない思いが脳裏をよぎります。誰かのためにあきらめてきたこと、自分に自信がもてきれずに口にすることをためらってきた言葉のかずかずをもう忘れてしまおうか。そう思って捨ててもまた次の日には拾っては引き出しにしまいこむんです。これは宝物なのでしょうか?そうですよね、きっと何物にも代えがたい宝物なのでしょう。誰にも見せない私の宝物。

16. 友を失って

 毎年2月2日になると思い出す友人がいます。20年前のこの日、友人は自らの命を断ちました。その前に、友達のところを順番に尋ね、みんなと話をし、最後に中学時代の一番仲良しとゆっくりと話をした後で一人死での階段を上って行きました。ああ、どれほど孤独だったことでしょう。誰にも理解されず、誰とも本当に分かり合えることもなく、たった一人で夜空を眺め、そして飛び立ちました。


 あれから20年、気がつけば自分はもうすっかり老けてしまいました。それなのに、遺影の友は今も変わらず若くて美しい。
「ずるいな、智ちゃんは。いつまでもきれいで。」
「何言ってるの。あなただってきれいよ。自身もって。」
 なんだか、彼女には励まされているような気がします。そう言えば、彼女に会うと何故だかいつも心が和んでいました。笑顔が似合う不思議な女の子。


何故?と問いかけてもきっとその答えは見つからないと思います。
「これプレゼント。」
そう言って亡くなる前に二回ほど尋ねてきてくれました。私のことを、まるで姉のように慕ってくれていた智ちゃんは、ニコニコしながらお父さんと一緒にクリスマスプレゼントを持ってきてくれました。とてもおしゃれなコーヒーカップのセットでした。


 くしくも、それから一か月足らずで、私たちは、あの阪神淡路大震災に見舞われてしまいました。家屋が半壊しましたので、家具も食器も使える状態ではありませんでした。そんな折、あのコーヒーカップのセットが大活躍してくれました。カップは茶碗やお汁椀にもなり、受け皿が食事の時のお皿になりして、大変な時期を支えてくれたのです。


 その後、インフラが復旧するまでに、相当な時間を要しました。
電話もなかなかつながらず、交通機関も寸断されて、智ちゃんとも連絡を取り合うことができなくなっていました。そんな中での、突然の旅立ちだったのです。お通夜の連絡を受けたときの衝撃を今でも忘れることができません。途中まで自転車のペダルを猛スピードで踏んで、一部復旧した電車に乗り、降りてからまた走って、ようやくのことでたどり着きました。


智ちゃんは棺の中に、一人静かに横たわっていました。その表情は、不思議なことにとても穏やかでした。もっと早くに行ってあげればよかった、と悔やんでも後の祭り。でも、そんな私の後悔の念を優しく包みこんで、「来てくれてありがとう」とでも言ってくれているかのよう。
智ちゃんとはそういう人でした。


 あれから、何度もご両親を尋ねました。お花を携えてお伺いすると、以前と同じように迎え入れてくださいます。
「あの娘が大好きな人だったから」、と言って、お父様がいつもコーヒーを淹れてくださいます。そのコーヒーをいただきながら、智ちゃんの愛に包まれている私です。

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