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妄想日記:「おい、そこの男」



「おい、そこの男」

後ろから誰かの声が聞こえた。
「は?」
振り返ると幾人かの警察官が物々しい雰囲気を漂わせてやってきた。
係りの者が警察だったとは恐れ入る。
「何かご用ですか?」
「ああ、用があるから呼んだ。立て!」
「一体なんなんですか?なんでそんな言われ方をされなきゃいけないんですか」

僕はただ、実家の母親に会いに行きたいだけだった。三宮から新快速に乗って大阪に向かい、そこで関空快速に乗り換えて関空に。そして、その時、ごく普通に搭乗手続きをしているところだった。
「あの、Vパスはお持ちですか?」
「いいえ」
「あの、申し訳ございませんが、Vパスをお持ちでない方は、ご搭乗頂けないい決まりになっております」
「そうですか」
「もしよろしければ、あちらのお部屋でお待ちくださいますか?すぐに V注射を受けていただけます。もちろん費用はこちらでお持ちします」
「え、僕は中学生から一度も注射を打ってないんです。インフルエンザVですら。ですから、できれば・・・」
「そうですか、そうしますと、ご搭乗は無理かと...」
「でも、急ぎ実家の母に会わなくてはなりません。病気が重いので、もう時間がないんです」
「そうおっしゃられましても...。では、係りの者を呼びますので、そちらのベンチでしばらくお待ちください」
「はい」

しばらくすると警官と思しき男たちが、拳銃を携えてやってきたのだ。係りの者にしては実に物々しい。
「あの?」
「おい、お前か。Vパスも無く、V注射も拒絶しているという馬鹿者は」
「確かに僕ですが、馬鹿者とは随分だな」
「じゃあ、撤回しよう。お前は馬鹿者ではなく、大馬鹿者だ」
「は?何言ってるんですか」
「お前を連行する。逆らうと更に罪が重くなるからそのつもりで」
「ちょっと待ってください。僕が何をしたというのですか?」
「わかりきったことを聞くな。さ、行くぞ」
「何処へ?ちょ、ちょっと待ってください」
この警官は、またわかりきったことを聞くな、とでも言いたげに、冷たい視線を僕に投げかけて、僕を引っ張っていった。
分かりきったところとやらへ。

2021年6月30日。

僕の時計はいつもどおり時を刻んでいる.
僕が連れて行かれたところは、いわゆる拘置所。何も悪いことをした覚えがないのに、こんな理不尽があってたまるか。
さっきの冷たい表情の男が言った。
「ここでしばらく頭を冷やせ」
笑わせるな。頭を冷やす必要があるのはそっちだろ、と言いたかったが止めた。言ったところで、通じるはずもない。いや、違うな。ひょっとしたら彼らも犠牲者なのかもしれない。見えていないのだ。この世の仕組みが全く見えていないのだ。ただ、上から言われるままに動いているに過ぎない。そして、その上の人たちも、さらにその上に言われたままに動いている。
いつからだろう。この思考停止状態は一体いつから続いているのだろう。

「痛い!放しなさいよ。私が何をしたっていうのよ。全く馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
女性の声が聞こえてきた。
「少しは黙ってろ」
さっきの警官の声だ。相変わらずの鉄仮面ぶりだ。無表情の鉄仮面だ。
落ち着いて周りを見てみると、僕のように、無理やり連れてこられたであろう人物が沢山いた。若いものから年寄りまで。男女も取り混ぜて、よくもまあこれだけ頑固者がいたものだ。ふとおかしくなって笑ってしまった。


「おい、そこの男」
「え?僕ですか?」
「そうだ。今、笑ったろ」
「は、はい。ちょっとおかしくなって」
「笑うな!」
「え?」
「ここでは笑ってはいかんのだ」
「なぜ?」
「法律で決まっている」
「はあ・・・?」


一体今はいつだ?気になって何度も時計を見た。
あれ、やっぱり2021年6月30日。
おかしい。確かに2021年。それなのに、この状況。いや、もしかしたら僕がおかしくなってしまったのやもしれない。
「いいか、よく聞け」
鉄仮面が続けた。
「ここでは、笑ったり歌ったり踊ったり、そういう楽しいことは一切禁止されている」
「では何をすればいいのよ?」
さっきの女が訊ねた。
「ただ、こちらの命令に従っておれば良い。以上だ」
まさに、異常だ。

歌も踊りも笑うことも禁止とは、一体どこの国のどんな法律だ。本当にここは日本か?自由が憲法で保証されていたのではなかったか。
僕が拘置されている部屋には、みんなでざっと50人ほど。適当にカーテンで仕切られている。一応男性と女性は分けてあるが、それも形ばかり。これはひどい。ナチスか、奴らは。
「ねえ、いつになったら出してくれるの?」
さっきの女が扉に向かって叫んだ。
「やかましいぞ。静かにしていろ」
扉の向こうから警官の声。一体彼らも笑わないのだろうか。

しばらくすると、部屋のあちたこちらから、ヒソヒソと話す声が聞こえてきた。僕も、たまたま隣にいた男と目があった。何も話さないのも気まずいので、僕の方から切り出した。
「こんにちは。とんだことになりました」
「いや、全くです」
二人共、苦笑い。
「おっと、笑っちゃいけないんでしたっけ」
「まったくあきれますよ。一体いつからこんなことに」
「まあ、予想はしていましたが」
「そうですね」
確かに予想はしていた。
歴史は繰り返すという。その昔、なんだか似たようなことがあったらしい。歴史の教科書に載っていた。国家権力を傘に、やりたい放題。人を人とも思わないやり方で、多くの人達を戦争に駆り立てていった時代があった。多くの罪もない人たちが命を落としていった。
二度とあんなことがあってはいけない!
そう反省したのではなかったのか。

「僕の娘はずっと登校拒否しています。というか、私が、もう学校に行かなくていいって言ったんですよ」
「え?」
「はい、いじめです。それも教師の」
「それはまた・・・。でも今時、特に珍しいことではないですが」
「はい、よくある話です。模様のついたハンカチを持っていたというだけで、教員に呼び出されたんです。白い無地のハンカチ以外は禁止なんです。そして、見せしめだと言って、その模様のハンカチを背中に貼り付けて一週間登校しろというのです」
「それはひどい」
「こんなの序の口です。僕は、娘に一切のV注射を打たせたくなかった。だから、アンケートにそのことを書いて娘に持たせました」
「僕もその件については賛成です。だって、厚生労働省のホームページにも強制ではないと書かれていたはずです」
「そうです。そのはずです。わたしもそう言って抗議したのですが、結局拒否した子供には黄色い星ワッペンを胸につけさせるというんです」
「選別ですね」
「はい、選別です」


僕たちは日頃の思いを色々と話し合った。昔から、細かすぎる校則に悩まされてきた。しかし、今の学生たちは、本当にひどい状況に置かれているようだ。そもそも校則とは、子供のうちから締めつけに慣れさせるもの。大人になっても、なんの疑問も持たずに、上からの命令に黙って従うロボットを量産するのが目的なんだ。
思考停止状態にしておけばコントロールしやすい。まったく、昔も今もやることは同じだ。
そんなことを話していると、扉の向こうから何やら甲高くてよく響く女の声が聞こえてきた。

「ちょっと、気安く触らないでよ。私を誰だと思ってんのよ」
「うるさい。つべこべ言わずにさっさと入れ」
「わかったわよ。いちいちうるさいんだから、もう、やんなっちゃう」
入ってきたのは、きらびやかな衣装を身につけて、髪を金髪に染めた派手な女性だった。
「あ、粟田法子だ・・・」
隣の男が叫んだ。
「え!あのシャンソン歌手の?」


部屋中がざわついた。その女は、警官の手を払いのけると、胸を張って悠々と入ってきた。大きく開いた胸元から今にもこぼれそうな豊満な胸は、眩ししい。自慢であろう脚線美を思い切り強調したロングドレスを身にまとい、体中から色気をムンムン溢れ出させている。実に眩しい。眩しすぎる。
「たまらんな。これは捕まるわ」
「確かに・・・」
その女は、ゆったりゆったりとモンローウオークを決め込んで、部屋の奥の空きスペースに向かうと、ハイヒールを大事そうに脱いでから、腰を下ろした。その一部始終を部屋中の人間が見守っていた。カーテンなどとっくにとっぱらっている。無理もない。いい女なのだ。


「ねえ、聞いてよ」
その女が口を開いた。
「この私によ、ださーい茶色いスーツを着なさいだって。襟元をしっかり閉じて、ぴしっとしろだなんて。もう笑っちゃうわよ。しかもスニーカーじゃないとダメなんだって。あ、ごめん。スニーカーなんてオシャレなものじゃないわね。あれはどうみてもスクール用運動靴よね。ああ、もうやんなっちゃう。誰が私の運動靴姿を見たいよ。私、夢を売る仕事をしてんのよ。パリの香りを漂わせて舞台で歌ってるの。それがよ、運動靴?空いた口が塞がらないうちに、ここに連れてこられちゃったわ。まあ、スーツもねえ、ピッチピチの脚線美を強調すれば、それはそれでいいかも。うふふ」
部屋中に、ため息と笑いが混じりあった、なんだかゆるい空気が溢れた。これだ。このゆるい雰囲気が僕たちには必要だ。
「わたし、絶対ドレスで通してみせるから」
部屋のあちこちから「オー」という歓声と拍手が沸き起こった。

「おい、何を騒いでる。黙ってろ!」
扉の向こうから鉄仮面の声が聞こえてきた。

「なあ、俺たちどうすりゃいいんだろう。だってな、ここから出たけりゃ、あいつらの言いなりにならないといかんわけだ。でも、そんなことできないよな。つまらん。そんなのやだよ。Vパスなんかいらねえしな。ただただ、笑いたい時に笑って、行きたいところに行って、好きな仲間と朝まで飲んでたいんだよ。たったこれだけのことなのにさ。これって贅沢なのか?」
隣の男が、少しトーンを落として切々と話し始めた。
「そうだよな。なんでこんなことになったんだろうな」
また部屋の空気がどんよりし始めた。すると、また粟田法子だ。


「何寝ぼけたこと言ってんの。そんなのわかりきったことよ。あいつらの言うことを素直に聞いて、言われた通りに従う人がいるからじゃない。全員で拒否ればいいのよ。なんでこんな簡単ことがわかんないのかしら」
「みんな怖いんだよ」
「何が怖いのよ」
「だから、人にどう思われるかとかさ。あいつらのことより、隣近所の目が怖いんだよ。タレコミとかチクられたりとか、最近よく耳にするぜ」
「それもみんな、自分を守るためでしょ。でも、結局は自分の首を絞めているのにね。好きな洋服も着られないし、おしゃれもできないし。隣の奥さんたら、私の金髪は国賊だって言うのよ。全くバッカみたい」
国賊とは恐れ入る。
さらに続けた。


「もうみんなでこぞって無視しちゃえばいいのよ。おおっぴらにデモとかして逆らうと捕まっちゃうでしょ。むしろ奴らの思うツボよね。そんなのエネルギーの無駄遣い。エネルギーはね、楽しいことに使うものよ。だからね、シラーっと好きなことすればいいの。それで、何か言われたら、あら、ごめんなさい。ついうっかりしてましたって言えばいいの。別にわたしはさ、あの人たちが憎いわけでも何でもないの。だって、公務員さんだって内心は嫌なはずよ。まあ、言うこと聞かないと家族を養えないし、やむを得ないことはわかるし。同情するわよ。でもさ、あの人たちだって、楽しいことは好きなはずじゃない。そもそも、数で言うと、私たちの方が断然多いわけだし。まさか一億人を全員捕まえるわけにもいかないじゃない」
「確かにそうだな。そんなことしたら、たちまち国の機能がストップしちまう」
「そうなれば、困るのは誰かしら?」

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間違えないで欲しい。
ここに書いたことはすべて妄想だ。
反抗心など微塵も持ち合わせてはいない。
ただ、普通に、毎日を楽しく自由に暮らしたい、と思っている人間が、好きに妄想を膨らませているに過ぎない。
だから、みんなもドンドン妄想しようじゃないか。
だって、楽しいぜ。
だって、自由だぜ。
そして、誰も傷つけないぜ。
だって、妄想だから。

あ、おふくろからメールだ。少し元気になったらしい。顔を見に行こう。久しぶりに親子水入らずで、ゆっくり温泉にでも行くかな。


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