こんな会社にしたいんだ
接骨院を経営して20年。
全くもって経営者らしくないが、これからは経営者としての仕事を全うしていきたい。
手技療法の界隈は20年前とは大きく変わってきた。
20年前はカイロプラクティックや整体という言葉すら一般的ではなかったけど、今では当たり前のようにどの駅前にもある。
接骨院も本来の役割である怪我の対応と治療だけでは経営できず、手技療法を自費で行うところがほとんどで、エステやダイエットなどのサービスを提供する入口になっている場合も少なくない。
そんな20年の月日の中で僕なりにこの業界内でもがき、あがいてきた。
18歳で学校に通いながら、家から片道1時間半かけて久留米の整体院に修行に行った。
給料は6万円だった。
22歳で東京に出てきて赤羽の接骨院に入社した。
初日に院長から「椎間板ヘルニアってどうやって治すの?」と質問され、2時間黙って考えていたら、ずっと横で座って待っていた。
福岡から出てきて、いきなりそんな質問をされ、2時間も隣で座って、答えるのを待っている院長だった。
これから、毎日こんな事が続くのか?
という思いはどちらかというとワクワクした感覚だった事を覚えている。
毎日、たくさんの患者さんが来て、先輩たちと学び合った日々はすごく刺激的で充実していた。
なんの取り柄もない僕がこれだけは人生の中で誰にも負けないものにしようと思って目指したセラピストの道。
当時3院あったが、一年後には本院のNo.3になり、3年後には院長になった。
会社の経営も任されるようになり、教育や採用、人事などを担当した。
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