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Marguerite

生花:マーガレット

マーガレットはあの夏ずっと、白い花を絶やさなかった。
伸びるままに任せた苗は瞬く間に木質化し、
茂みとなって庭の一角を塞いだ。
花の可憐さとは程遠い野生。
触れればキク科に特有の、苦みを含む青臭さが手に残る。
あの頃のメタファーとして繰り返し蘇る白い花弁、深い緑の葉、青い匂い。

手に入れたいものはたくさんあった。

何一つ叶えられる当ても無いのに、絶えなかった望みの数々。
幼児体形の小さな躰にはひどく似合わない制服のその内側で無限に膨らむ憧れという怪物。
あれから随分と時間が経ち、いつの間にか、あの頃望んでいた全てを経て、手に入れた。
自分の手で望みを叶えられる力を持つ大人になれた。
そして、喪失感。

あの頃にはあったもの。
あのマーガレットが象徴する時代のこと。

13歳の私の前に開かれた1990年。
土曜日の午後、制服を脱ぎ、部屋のラジオのスイッチを入れると同時に始まる、ラジオリクエストのウィークリーチャート。
繰り返しのオンエアにも、厭きることのないフレーズの数々。
季節を色付けた曲の数々。
素人には真似のできない深い歌声が伝える、
マニュキアもピアスも、ビーチもビキニも、稲村ケ崎も、遥か手の届かないところにあった。
いつかそこへ、と夢を見続けていた。
雑誌だけが定期的に伝える、別世界の話。

2019年。

どんなブランドのバッグも、ジュエリーも、望めば手に入れられる。
世界のどこへでも行くこともできる。
けれどそんなことでは、あの頃夢見た世界は叶えられないのだ。
幻想が襲う。
砂の中に崩れ、地中に呑まれようとする燃え尽き朽ちた楼閣。
灰が風に吹かれている。
憧れだけが描くことができた世界は、容赦なく過去のものになっていた。
その仕組みを知った今、私の感覚を築いたあの世界を取り戻そうとしても、それは難しい。
ただ、夏空の下にマーガレットが揺れていたのを思い出すだけ。

神に選ばれた者のみに宿る、ひと時の華、芸能、才能、体力。
皆がそれを讃え、歓喜を共にしていた、そんな時代があった。
時を楽しむことが、悪ではなかった。
大人だけに許された大掛かりな戯れ。
エンターテイメントは全身全霊でふざけた者たちだけの快楽。
上等な落語と同じく、どれほど下世話な話をしようとも下品に落ちない。
その根底に流れるのは人への愛、すべての人を楽しませたい、という愛であることは疑われなかった。


今となっては、表で演ずることが許されなくなってしまった芸の数々。
一言一言、表現のひとつひとつが、揚げ足取りの欲に晒され、隙を見せれば一斉に襲い来る容赦なき顔なき者達からの批判。
奇跡的なショーは、騒がれ、そしてその後、絶好の攻撃対象となる。
恥ずかしいほどに大々的に取り上げられたなら、その直後に、承認欲求を満たしたい批判の声の餌食となる。
それに怯え、表現が諦める。
これは悪夢に似たフィクションのようであって、紛れもない現代の事実。

天性の才能を歓ぶよりも、身近のどこにでもありそうな物事が好まれる。
遠く輝く無限の夢を描くよりも、今日明日、目の前の無難を願うことの方が優先される。
エンターテインメントが輝きに満ちていたあの頃の記録動画は過去を知る者たちの間でのみ郷愁を味わうために密かに共有される。

自分より高い感性を持つ者とそうでない者は、両方ともに歴然と存在する。
その感性の多様性を知れば、恐れずにはいられないだろう。
我が手を抜き心を疎かにしたことを、感性の高い人には見抜かれている。
一方、どれほど精神を尽くそうとも、それを理解しない感性には我がエネルギーが奪われている。

だから、我が感性にだけは、妥協してはならない。己を偽ってはいけない。

マーガレットの中にいた13歳の青臭さ。
上質な豊かな音楽の中にのみ、一瞬蘇る私だけの中の世界。


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