無知の知

僕らは、ある物事の認識について、
次の3つのいずれかに当てはまる。

知っているか
知らないか
誤解しているかだ。

知っていると思い込んでいる、あるいは正しいと思い込んでいるだけで、実は知らなかったり、誤解していたりということがある。

それでいて、それが本当に正しいのかどうかを、
僕らは普段、あまり考えようとしない。そのきっかけがないのだ。

たとえば、二酸化炭素の増加が温暖化の原因の1つだと言われているが、本当にそうなのか?

気温が高くなると、二酸化炭素が増えるだけであって、因果関係が逆なのではないのか?
本当に温暖化しているのか?温暖化は人間にとって、百害あって一利なしなのか?そもそも何をもって温暖化というのか?

そういうことを考えるきっかけがない。
言うまでもないが、考えないことは危険なことだ。

たとえば、法律をどう変えれば世の中がどうなるか、全く検証されないまま、法律を変える。これが危険であることは明らかだ。

そこで、自分の知識が本当に正しいことなのかどうか、考えるきっかけを作るために、たとえば一般的な学校のテストの採点法を次のようにしてみることを考えよう。

正しい答えを書けば、1点
何も書かなければ、0点
間違った答えを書けば、-20点

この採点法では、うかつに山勘では答えられず、知識の正確性が求められる。
うろ覚えの知識では、全く何も書かない0点を下回ることにもなりかねない。

自信満々で「知らない」という人が、
間違ったことを「知っている」人より優れている、

こんな採点法もあってよいだろう。
何より、自分の知識の正確性を再認識するきっかけになる。

事実、僕らはあらゆる場面で物事を正しく判断しなければならず、その都度、無知な自分に気付くことが求められる。

会社を経営する、あるいは何かに投資をするといった時、自分の無知を知って引き下がれば、損をせずに済む。

だが、間違った知識や情報をもとにそれを行なえば、損をするかもしれない。たった一度の過ちで、人生が破綻することだってあるのだ。

知らないことをわかった気になると損をする。このような状況になることによって、ようやく僕らは、その自分の知識や判断の正確性について考える。

間違っていても自らは一切損をしない、という状況下では、僕らはあまり考えずに行動するものなのだ。つまり、この状況こそが危険そのものなのである。

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