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【小説】渋谷は、誰も泣いていない

 10月も終わりになると、渋谷はいつもと違った表情を見せる。マリオやルイージのキャラに扮した格好や、ゾンビや魔女に変身した若者たちが現れ賑やかな渋谷がいっそう賑やかになる。それぞれがハロウィンを楽しもうとスクランブル交差点で混雑するのだった。

 そんな中、その交差点の角にあるビルの2階のカフェ「スタル」で、女の子は向かいに座る同級生の男子に話を切り出そうとしていた。
 女の子の名前はノン。都内の大学に通う女子大生で、明るく暖かい色のした服に身を包み、肩にかかるぐらいの髪をしていた。自信のなさそうな表情で少し暗い。

 そんな表情から何かを察したのか、向かいに座るショウヘイは、つまらなそうな顔をして窓から交差点を見た。誠実そうで、真面目な雰囲気の彼はいつもノンと会うときに笑顔を見せたことが無い。大学の帰り道にこのカフェで話をして過ごす時、いつもそうだった。窓側席でショウヘイは、たまに外の交差点を眺める。その時の表情がつまらなそうにする顔だった。

「別れてほしいの」

口を開けたノンは、彼の方を向いていた。ショウヘイはまだ外を見て黙っている。何を考えているのか分からない。怒っているのか悲しいのか、沈黙が長かった。

「そうだな」

しばらくの間があった後、ショウヘイはそう答えた。その一言だけいうと、ごめん帰ると言って店を出てしまった。
 一人店に残されたノンは、顔を下に向けた。こんなにもあっさりと受け入れられるとは思わなかった。逆にこちらが悪いかのような気持ちになってくる。

※※※

 
 逃れようとするのか、ノンはスマフォを肩掛けの鞄から取り出すと端末の側面を強く押した。 画面が光るとパスワードを入力してタッチ、スワイプと指の動作を繰り返した。いつも通りSNSの情報に目がいく。
 それを見ていくと、ノンの手が止まった。スワイプした先の広告にはこんな事が載っている。

「彼のことを忘れたいあなたへ。きっと後悔しません。このアプリであなたは変わります」

それは、聞いたことも見たことも無いアプリの宣伝だった。いつもだったら怪しいと思って手を出さないのに、今は信じたくなってしまう。ノンはそのアプリを入れてみる事にした。

「あなたが入れているメッセージアプリと連動してこの効果は発揮されます。よろしいですね?」

アプリの注意がそう表示していた。タッチする。すると、メッセージアプリが起動してショウヘイのアイコンが表示された。外を見つめる後ろ姿の彼が
写っていた。表示画面に移ると、こんな指示があった。

「彼に、さよならのあいさつを送りましょう」

ノンの指が止まった。これでもう彼の事を忘れられる。後悔は無い。でも、嬉しいはずなのに指の動きを遅くなって先に進まなかった。

 スマフォをテーブルに置いたノンは外の景色を見た。外がいつの間にか暗くなっている。街はいよいよ活気づいている。
 交差点を眺めていた時、はじっこの歩道で信号待ちをしているショウヘイを見つけた。彼の目線は先にある渋谷駅だった。つまらなさそうにしている。もう一度スマフォを手にしたノンは、彼にメッセジーを送った。

「今までありがとう、じゃあね」

 そう書かれたメッセージの後、ノンは急に頭が熱くなってくる気がした。今まで彼と付き合ってきた記憶が勢いよく頭の中を駆け巡るのが見える。そして一つ一つ彼の思い出の姿が消えていった。最後にこのお店での別れの姿が浮かぶ。
 すると、ノンは急に悲しくなった。彼が消え思い出が消えていく。涙がこぼれた。

 スマフォに着信が入った。それはショウヘイからだった。彼の声が聞こえる。

「ごめん、何もしてあげられなくて。最後に会ってくれてありがとうな。大好きだったよ」

 彼の声が聞こえる。渋谷のうるさい声が邪魔してくるのに、ノンにははっきりと彼の声が聞こえた。外の交差点を見て、彼が手を振ってくれている。彼は笑顔だった。初めて見せてくれた笑顔だった。

 信号が青になり、振り返って駅を目指すショウヘイ。彼の周りで仮装した若者達がはしゃいで歩いている。その様子は終わることがなさそうだった。
 ノンは彼の最後の記憶が消えるのを感じた。でも空高く手を振っている腕が見える。

 涙のしずくが手に落ちた時、外の渋谷の街は最高潮の盛り上がりを見せていた。誰も泣いている人はいないようだった。

(終)

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