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ITへの興味が全く湧かない-自己分析output-

好きだったITへの情熱がどこかに行ってしまった。
本ブログでは、自分自身の情熱の行方について考えてみたい。

私が情熱を燃やし始めたのは去年10月、きっかけはネット上にいる同い年、もしくはそれ以下の学生がとんでもなく深い知識と技術を持ってるという投稿を目にしたことだ。
彼らは私が一つもわからない単語を駆使して、大人と会話をし、そして事業に貢献していた。
そんな姿を見て、かっこいいと思うと同時に、自分自身がそのレベルに達していないことに非常に焦りを感じた。
そうして勉強を始めた。始めてからは非常にスムーズだった。ネットに落ちているロードマップやITに精通した先輩に話を聞きに行き、todoをまとめた。そして、やれそうなことから順番に潰していった。その結果、FEも取れたし、ハッカソンにも参加できるレベルにまでは登ることができた。

しかしここで問題が発生した。題の通り、ITへの興味が全く消え失せてしまったのである。

なぜか、考えられる理由は三つある。
まず、かっこいいと思っていた「彼ら」も結局は学生で、私と同じように迷える子供だということがだんだんとわかってきたからである。これはネットを通じてすごい人の友人を作った結果、すごい技術を持っている人がただすごい技術を持っているだけで、まぁ濁して述べるとかっこいい人ではないということが露見し始めたからである。その結果、憧れも焦りも消失した。

次に、生活が非常に多忙になったためである。
もちろん10月までも非常に忙しかったが、特に最近ははアルバイトや旅行などが多く重なり、ITに関する勉強よりも優先度の高い事柄が多く出てきた。一つ目の理由が原因となって下がったモチベーションでは、優先度が低くなることも頷けるし、その結果他の事柄ばかりでITに手をつけることから遠ざかり、その結果ITへの興味がさらに失せていった可能性があると考えた。

最後に、時間をかけて自分の人生について勉強したいと考えたからだ。
当たり前だが私はIT=人生ではないと考えている。あくまで、幸せになれる可能性がある手段の一つだ。パソコンやインターネットに人生を捧げるつもりは毛頭ない。私の人生は私のためにあり、私は私が大事だと思う人のために捧げたい。だから、近視眼的にITの勉強にばかり時間を使って、人生について深く考えたり、知らないのは本末転倒であり、私にとって健康ではないと感じる。そのため、人生について知るために、自分の価値観や哲学について現時点の感覚を保存する活動に時間を注ぎたいと考えるようになった。その結果、副作用としてITを勉強することの優先順位が下り、上記と同じようなサイクルで手をつけなくなっていったことが推測される。

まとめると、私は憧れの喪失、生活の多忙化、学習方向の変化の三つの原因により、ITへの情熱を失った。
しかし、まだITへの情熱を取り戻すことを諦めてはいない。
なぜならITへの情熱は霧散したのではなく、他に注がれるために調整されたからだ。
条件が揃えばまた自然と勉強を始めるに違いない。
今は未来の自分を信じる時期だ。

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