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「戦後の昭和天皇と乃木希典大将」/その深い関りを拝察する

先日、昭和の日に靖国神社と乃木神社を参拝してきたことについて記しました。その記事中、昭和天皇と乃木大将の関りについても述べましたが、今回その関りを忍ぶために「昭和天皇実録」から、戦後の中での記載を取り上げてみたいと思います。

戦後の昭和天皇と乃木大将

第二次大戦後の「昭和天皇実録」には、乃木大将のことは四記事が記載されています。もちろん戦中、戦前はもっと多くの記載があり、実に51も有ります。
ここでは、戦後の四つについてのみ記させていただきます。
1)昭和二十年九月二十七日
マッカーサーとの最初の会見時に、昭和天皇から話題としたのではなく、マッカーサーが日露戦の将軍に会った記憶を語る部分で乃木大将ほかの将軍の名前を挙げて昭和天皇に語り掛けています。
2)昭和三十七年九月十三日
昭和三十七年のこの日は、乃木大将殉死からちょうど五十年に当たる日になり、乃木神社では五十年祭が取り行われていたようです。
昭和天皇は、乃木神社五十年祭委員会に祭粢料を賜わっていらっしゃいます。「昭和天皇実録」にはその旨が記載されています。
3)昭和五十年九月二十六日
昭和天皇は、この年の十月に初の訪米を予定されていました。そのためだろうと拝察しますが、この九月二十六日には、米国の記者を引見になっています。
その中で、感化を受けた人物として、乃木希典学習院院長を挙げられた、と「昭和天皇実録」に記載されています。
4)昭和五十七年九月七日
この日、宮内記者会会員22名の会見が行われ、この中で昭和天皇は、強い影響を受けた著作について質問され、東宮御学問所時代に読んだ箕作元八の歴史書を挙げた後、学習院初等科時代の思い出として乃木学習院院長から、常に贅沢をしないよう指導を受けた旨をお答えになっています。

戦後の記録にもその関り深さが見て取れます、そして九月になると乃木大将が昭和天皇のこころの中に甦っていたのではないか

1)のマッカーサーの言は昭和天皇自らの発言ではないので、2)、3)、4)についてみてみます。
それぞれ、昭和天皇が自身、影響を受けた、感化を受けたとの意味で発言されたり、祭粢料を賜わったりされているところから見ても、深い関りが十分に拝察されます。
また、2)の乃木将軍殉死からちょうど五十年ということでもちろん九月の命日に当たっているのは当然なのですが、3)と4)についても九月の会見で乃木大将について昭和天皇ご自身が触れられています。
これは、私が推測するのも僭越なことですが、おそらく乃木大将の命日のある九月に、昭和天皇のこころの中に乃木大将の御霊が訪れてくるという心の風景を物語っているように拝察します。
その意味で1)のマッカーサーの言のあったのも九月であり、それが私には偶然であるとは思えないところがあります。

よくよく戦後の「昭和天皇実録」辿ってみた時、そのようなことを思い、偲んでしまうような何かが、昭和天皇と乃木大将の間に有ったのかもしれないと私は思ってしまうのです。

またいつか、本ブログにおいて、戦前の昭和天皇と乃木希典大将の関係を辿って記事にしてみたいと思います。


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