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「輪島功一・ファンとの記憶の共有/1975,1976年2度のリターンマッチで王座に還り咲いた”炎の男”(日本人の男が男だったころ)」

団子屋のおやじはすごいことをやっていたのだ。

3度の王座獲得のその時、当時中学生の私にとって英雄となった。


輪島は、令和三年十二月の産経新聞連載「話の肖像画」で人生を振り返って、ファンとの記憶の共有こそが自分の財産だと言っている。


1)1975年1月21日 両国・日大講堂 リターンマッチ
 アルバラードVS挑戦者4位輪島功一
 輪島、15R判定勝 王座奪還
2)1976年2月17日 両国・日大講堂 リターンマッチ
 柳濟斗VS挑戦者同級9位輪島功一
 輪島、15回KO 王座奪還

中でも2回目の柳濟斗とのリターンマッチ、この試合の記憶はまさにその核心にあるものだと思う。

いまは存在しない最終15ラウンド、普通なら、今なら、14ラウンドまでで判定での勝ちは100%間違いない状況であり、フットワークで流すことを選ぶのは妥当な判断と誰も否定しない中、ゴングが鳴ったとたんに自分から危地に飛び込み攻めに徹していった輪島。

おそらくセコンドの三迫はリスクを取って攻めろなどとは決して言ってなかっただろう。むしろ「もう勝っている、流せ!危険を冒すな!」と言っていたはずだ。

しかし、これ以上のものはない男気の、輪島功一の胸の奥に燃える「炎」によって、今我々は最終15ラウンドまでを費やした大団円の右ストレートによるKO劇=「我々世代の輪島」というボクシングドラマを共有することができている。 


輪島功一の輪島功一たる所以がこの瞬間に輝いて消えることがない。

(この試合の実況は、がんで早世したあの逸見政孝氏の若き日のアナウンスです。誠実な人柄が今に我々の心に届けられるこのドラマを飾っています。)


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