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「一技術者が仕事の意義について考えてきた一側面 エピローグ9」/技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その1 定年講演

私の会社生活における経歴については、以下の記事で述べました。

経歴リマインド

34年間、大手精密電機メーカーで川上の研究開発、技術開発を行い、煎じ詰めれば7つほどの技術開発を行い、2勝5敗だったとは他のところでも記しました。
大学、大学院で有機化学を専攻し、有機化学をベースに高分子科学、材料科学を志し、機能材料の技術開発を行ってきました。

有機化学出身の材料技術者の夢

理学部で有機化学を学び、基盤としたため、その経歴の上からも基礎的な技術基盤の上に革新的な機能材料を創り上げ、世の中にインパクトを与えたいとの夢をもって取り組んできました。

もちろん、それは壮大な夢であり、どれほど実現できたかを顧みれば些少なのかもしれませんが、それに向けて取り組んできたこと自身には自信を持っています。

夢の実現に必要だと信じてきたこと

そのプロセスは、材料技術に関わる以上、その取り組む材料技術にとことんこだわりを持ち続けることが非常に重要です。深く深くその技術を掘り下げとことん打ち込んで有り得ないほどの解をつかみ取ってくる執念が必要だと思ってやってきました。

それが、集団で仕事を進める企業の開発現場で、疎まれたりすることもしばしばでした。まあ、そういう意味でよく誤解されたものです。もちろん自業自得の部分もあるのですが。
そのことをうまくやり過ごすことができるようになったのは課長になってしばらく経った40代も半ばを過ぎたころでした。

失敗続きだった40代はじめまで

ただ、やはり一から技術開発を始めて、製品、事業にもっていくのはそれは難しいものです。
・液晶材料開発
ごく初めの研究所での小さいテーマは別にして、初めて取り組んだのは液晶ディスプレイ用の液晶材料でした。
求められている技術レベルの高さというものをいやというほど味わいました。しかも膨大な壁と感じたのは、技術を実現した上で製品を事業として利益を上げることでした。
とてもそこまでの道のりを考えると呆然としました。
しかし、自分の関わった材料技術を最後まで逃げずに追求し続けるという点に関してはなんとかやり遂げることができたかなとの感触を持つことができました。
・記録材料開発
自分のテーマとして、責任者として取り組んだテーマで5年の間、事業化への可能性を追求しました。しかし、技術の壁が非常に厚かった。これは事業性というより技術の壁でした。それを最後の一滴まで追求せずに投げ出すことができないとの思いがありましたが、それが強く出過ぎた点もありました。
この失敗には自分が責任者だっただけに非常に多く学ぶものがありました。
大きな失敗は会社の中で四面楚歌とも言う状況が味わえます。これは貴重な体験でした。
一方でこのなかで小さな成功がいくつかあり、それにはやはり自分で信じる技術開発のあり方、こだわり方の正しさを確認できたことも成果でした。

会社にはいろんな人がいる

しかしそれにしても、会社社会にはいろんな方々がいるものです。
人が失敗すると喜ぶ人が多くいるのも良くわかりました。
ヒトの不幸は蜜の味とはよく言ったものです。
上ばかりを見て下を顧みない人たち、自分たちを打ち出すために出し抜く人たちなどなど、また、一方で非常に数少ないですが自分を暖かい目で見てくれる人たちも実際にいることがわかりました。
失敗はいろんな人間の諸様相を垣間見させてくれるものです。

失敗の中で失わなかったもの

こうした失敗続きは、前に向かう精神を萎えさせる面もありますが、逆に鼓舞するものでもあります。
そして、自分のアイデンティティー、これという材料技術に入れ込んだり、掘り下げたりするその深さと思いについては、失敗の中で肯定的なものを失うことが有りませんでした。

それは、これまでの経歴の中で指導されたり、歴史の中で試練を経て作り出された精神などに触れることで失わず、かえって励まされて強化されてきたように感じます。
本ブログの中で述べてさせてもらいました、大数学者の岡潔さんの著作などは、その代表です。

それは、煎じ詰めれば、
ああ言えばこう言う式の権謀術数的なものではなく、
素直な美しい日本のまごころの中にこそ、
クリエイティビティの核心はある、
ということです。


以上述べてきた、失敗の数々と胸の中にある素直なまごころが、次に来る私の技術者としての成功例の卵となったのだと思っています。


技術開発におけるこだわりの強さとクリエイティビティ その2
に続く。







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