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「今村大将と昭和天皇の接点 その3」/第二十三軍司令官に親補され、勅語を受ける

今村さんと昭和天皇の接点ということでこれまで下記三記事を掲載しました。

(上記の記事は昭和天皇との接点のまとめです。)

今回はその3として、
第二十三軍司令官に親補され、勅語を受ける

というところについて記事とさせていただきます。
第一に記事中に記した項目で言いますと、
5)昭和十六年六月 第二十三軍司令官
第二十三軍司令官に任命され、昭和天皇より親補される。
6)昭和十六年六月 第二十三軍司令官
第二十三軍司令官として、昭和天皇より勅語を賜る。
の二つになります。

親補式について

第二記事の第五師団長へも記しましたように、今回は第二十三軍司令官に親補されました。
親補というのは、天皇陛下により直々に職務に補されることを言い、親補式というものが行われるようです。
陸軍のラインの場合、親補式は、基本的には、
師団長、軍司令官、方面軍司令官、総軍司令官がそれぞれ昇任時に親補式をもって親補されます。
通常、
師団長、軍司令官、方面軍司令官が、中将以上、
総軍司令官が、大将以上に
親補されます。

ちなみに、軍司令官が他の軍司令官に転任される場合、親補式も無く、転補される、というようです。

第二十三軍について

当時、第二次大戦参戦前でしたが、シナ事変中でした。第二十三軍は南支に派遣された軍でした。
『今村均回顧録』には、親補式のことは書かれていないようです。また、昭和十六年六月から十一月までの間の職務であり、戦闘などについてはあまり書かれていないようです。

親補式及び勅語

『昭和天皇実録』のほうには、第八巻410頁と411頁にそれぞれ親補式、勅語を賜ったと書かれています。
引用しますと、

昭和十六年六月二十八日
午後一時四十五分、鳳凰の間において親補式を行われ、陸軍中将今村均を第二十三軍司令官に補される。
昭和十六年六月三十日
午後二時四十分、御学問所において、今般出征の第二十三軍司令官今村均に謁を賜い、左の勅語を下される。
朕卿ニ委スルニ第二十三軍ノ統率ヲ以テス
卿深ク内外ノ情勢ト事変処理ノ大局トヲ達観シ出師ノ目的達成ニ努メ益々威武ヲ宣揚シ以テ朕カ信倚ニ副ハンコトヲ期セヨ

と書かれています。





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