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「野際陽子さんを偲ぶ」/雨女だったそうです。いつまでもきれいな女優さんでした。

昨日は、野際陽子さんの命日だったそうです。7回忌ということであり、もうそんな月日が経ってしまったのか、という気がします。
そのことに関する下記の記事を見て少し記してみたいと思いました。

「キーハンター」から「ずっとあなたが好きだった」

記事中には、野際さんらしい交友のあとが浅野ゆう子によって語られており、わたしは小学生の頃「キーハンター」で見た格好のいい綺麗なお姉さん女優から90年代からは個性的できれい、そして可愛らしいお姑さんのイメージの女優さんで、いつまでも綺麗な女優さんでした。

野際さんは「雨に唄えば」が好きだった

憶えているのは、確か90年代だと思いますが、人となりを聞くバラエティー番組に彼女が出演したとき、最後に野際陽子さんの好きな映画は?と訊かれ、「雨に唄えば」(1952年)と答えて、その後流されたVTRを見ながら微笑んでいたのが印象的でした。
そのときに思ったのは、きっと私と同じように、野際さんも近代という時代性の中で個性を全うでき、またしなければならない環境の中だからこそ、あの思いっ切り能天気にしかし芸技術に溢れた無上の喜びを表現する「雨に唄えば」に心打たれたのであろう、と勝手に想像したものです。

野際さんの年齢からすると、日本公開昭和28(1953)年の「雨に唄えば」を立教女学院高校2年生のときにリアルタイムで観たのかもしれません。

その後、10代後半から20代にかけて野際さんは世に出ていくわけですが、アナウンサーとしてそして女優として。そのとき、やはりきらめく個性を求められ、それゆえ「雨に唄えば」で感じたトキメキを、どこかの男性に恋という形で胸に秘めていたかもしれません。
そういうことは、生前も野際さんの胸の中にしまってあったことなのでしょうが、そこに胸熱くなるような恋が有ったことを想像をすることは何か私の胸にもトキメキを覚えるような気持ちになります。
いまもそれを抱いて眠っておられるかもしれません。

雨女と「雨に唄えば」

そしてもう一つ、記事中でも逃せないのは、野際さんが”雨女”だったということです。
私はここでも野際さんとの共通点を感じないわけにいきません。私自身、だれからも”雨男”と言われるほど、イベントがあれば必ず雨が降る”雨男”です。
雨女だから、「雨に唄えば」が好きだったのか、「雨に唄えば」が好きだから雨女だったのか、この問いは、私自身に照らすとどちらも正解だと思うので、恐らく野際さんにも答えられない問いだったのはないかと拝察しています。


野際陽子さんを偲ぶ

「キーハンター」で知り合った野性味溢れる千葉真一さんと結ばれ、のちには別れるのですが、子供さんも芸能界で活躍されていますし、女性として仕合せな良い結婚生活だったのだろうと思います。
千葉真一さんが野際さんが亡くなったときのコメントもそうであったろうなと思わせるコメントだったと記憶しています。

本当に綺麗な女優さんでした。いつまでも綺麗な女優さんでした。



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