伊藤潤二「道のない街」 ~中津川市の観光も~

#推しのホラーマンガ

注:ネタバレがあります!

私は岐阜県の中津川市という場所が好きで、何度も出かけている。

ちこり村という施設で、チコリを使った食べ放題のランチを楽しんだり、秋になると市内にたくさんある栗きんとんの食べ比べをしたり、日本酒を買いに行ったりと、ことあるごとに出かけた。

私は当時長野県の松本というところに住んでいた。塩尻に出て、奈良井、木曽福島、妻籠、馬籠など、江戸時代の宿場町をめぐりながら、最後中津川に出るときに、パッと開けた風景に変貌する瞬間が好きだった。ああ、美濃についた、と車に乗っていても思うのだから、街道筋を歩いていた旅人たちは、いかばかりだったろうか。

そんな中津川に、私が敬愛してやまない伊藤潤二先生が住んでいたと聞いたのは、いつだっただろうか。もちろん、たずねにいったりしない。きっと、そんなことをしたら双一が、口にくわえた五寸釘で攻撃してくるだろう、という恐れもあった。

伊藤潤二先生の着想は大変豊かで、きっと、日野市あたりに住んでいらっしゃるのだろうと、勝手に思い込んでいた。なんとなく、都下に住んでいるような感じを、マンガから受けたのだろう。しかし、実際は違った。

そんな伊藤潤二先生のホラーマンガの中で、私が推したいのは「道のない街」である。これまたジャパニーズホラーゲームの傑作の一つである『Siren』の1作目の後半に、どんどん家が建て増しされて、迷宮化していく流れはきっと伊藤潤二先生の「道のない街」に着想を得たのだろうと推測されているサイトがかつてあった。私も、その意見には、賛成である。

怖い風体の存在が人を驚かす、理屈のわからない怪異が身に降りかかる、ホラーマンガのパターンはいくつかあるが、「道のない街」はそのどちらの定型からも逃れている。怖い風体でもあり、怪異もあり、それらがナチュラルに夢の論理にしたがって、奇妙な展開を遂げていくのが「道のない街」の怖さである。

そんなことを言われてもわからないと思うのは、当然かもしれない。伊藤潤二先生の作品の怖さは、因果がふわっとしているのに、妙なリアリティをもって読者に迫ってくるところだと思う。まずは「道のない街」のストーリーをまとめていく。

アリストテレス事件

主人公の彩子は、ときどき部屋の窓が開いていることをいぶかしむ。

そして、寝ているときに、目立たないクラスメートの男性の岸本が出てくる夢を頻繁に見ていた。

友人に相談すると、アリストテレスという求愛の方法があって、それは好きな人が寝ているときに耳元で話しかける、ということだといい、岸本はそれをやっているのではないか、と答えた。

家族たちからは、夜中にときどき男の声が聞こえるといわれ、憤懣やるかたなくなった彩子は意を決して、夢の中で、岸本にアリストテレスをやめて直接言ってほしい旨を伝える。岸本は了承し、彩子に指輪を渡そうとする。

しかし、そこに「切り裂きジャック」なる男が現れ、岸本に襲い掛かる。彩子は目覚める。枕元に、空の指輪の箱が置いてあった。そして、近所の路上に着られた岸本の死体が発見されたという。

覗く人

その事件以後、彩子の部屋を家族がのぞくようになった。止めてといっても、壁に穴をあけて覗く。友達の家を泊まり歩くも、限界があり、家に帰るとまた部屋をのぞく行為がつづく。それを非難しても、家族は一向に覗き行為をやめない。果ては、天井から覗くものがいたので、ドライバーで突いてやると、翌日父親の目がつぶれていた。

どうしてこんなっちゃったのか、彩子はわからず、叔母さんの玉枝のところへ避難しようとする。

叔母の玉枝の住む小里町のバスに乗ろうとすると、パスは廃止されている。歩いていこうとすると、事務の人に不審がられる。見知った道を進んで行くと、行けたはずの道が壁でふさがれている。回り道をしても、必ず何かの遮蔽物がある。道行く人も、なぜか皆お面をかぶっている。

道のない街

小里町に行けずにうろうろしていると、仮面をかぶった男が道案内を申し出る。彩子は男と一緒に、民家の中に入り、そこから小里町を目指すことになる。民家の中には、普通に人が生活しているのだか、通行しているこちらを気に留めることもない。

彩子は男に、なぜこのようになったのかを問う。男は、ここ二~三か月の間に、違法建築物が建てられてしまったという。

なにしろ、建てている現場を見た者がないんですよ
夜が明けるたびに増築されている

通常の建築物と違法建築物の中に、普通に人が住んでいる。仮面をつけているからプライバシーは保たれていると思っているのか、お互いに気にするそぶりはみせない。玄関を閉じて、家にいれない家族は、引き出されて鞭打たれている。彩子はあまりの光景に逃げ出した。

その後、同じ場所に戻ると、鞭打たれていた夫婦を助け出し、事情を聞いた。プライバシーがなくなり、人はせめて仮面をかぶってこの町で暮らしているという。叔母さんが住んでいる場所は最も危険な場所だという。なるべくなら近づかない方がいいといわれる。しかし、彩子は向かう。

叔母さんの家をみつけたら、叔母さんは裸で、プライバシーを無にすることで逆にこの状況を乗り切るようにしていると説明する。

こんな状況の中で
プライバシーを守ろうとなんて無茶よ…
頭が変になるわ…
だから私はプライバシーを捨てることにしたの

通りすがりの人に、裸の叔母さんは挨拶する。彩子にも、その生き方を勧めてくる。彩子が、その発想に反発すると、叔母の玉枝は逆上し、追いかけてきた。

変わり果てた住人

逃げる彩子。仮面をかぶった町の住人たちが、おいかけてくる。道端には切り裂かれた死体。

逃げ切ったと思ったところに、いびつな頭で壁をのぞく人影が。頭が異様に縦長で、何だろうと思って眺める彩子に気づいて振り返る人影の頭には無数の目が。

逃げる彩子。そこで出会った道案内の男。その男の案内で、街から脱出を試みようとする。すると、その男の指に見覚えのある指輪が。一度どこかで会いませんでしたか?と聞く彩子。男は仮面を外し、正体を明かす。それは夢で岸本を襲った「切り裂きジャック」だった。

彩子に襲い掛かる「切り裂きジャック」。すると、彩子を捕まえようとしていた叔母の玉枝がジャックを背後から刺し、正気に戻って

上流に向かっておゆきなさい
じきに出られるわ

彩子は玉枝に一緒に脱出しようと持ち掛けるが、黙って戻る玉枝。

彩子は上流に向かって歩き出す。

奇妙な怖さの味わいをさぐる

実のところ、伊藤潤二先生の作品群の中では、怖くない方に仕分けされるだろう「道のない街」は、ホラーというよりも幻想味の強い作品となっている。

なぜ家族が彩子の部屋を覗き見るようになってしまったのか。

なぜ小里町は違法建築物で埋め尽くされてしまったのか。

叔母さんは正気なのか狂っているのか。

目のたくさんある怪物はなんなのか。

そして彩子は元の街に戻れるのか(戻っても、全世界がプライバシーが失われた小里町化しているのではないか)。

これらの疑問に作品が答えてくれることはない。

疑問が残されたまま、事態だけが横滑りして、事態がどんどん悪くなっていくのは、悪夢の論理だ。

伊藤潤二先生の作品の怖さは、こうした悪夢の論理が根底にあることから醸し出されている。

最後これが夢オチならば読者も安堵する。実際、そういう作品もあり、夢オチかと思ったら、醒めた現実も夢のようだったり、という入れ子のような恐怖作品もある。

そして、正気ではない論理に唯々諾々としたがって生きる住人がおり、その住人たちからすると、正気を保っている彩子のような存在の方が異質なのだ。この正常と異常の逆転による恐怖も、伊藤潤二先生が得意とするものである。

実のところ、この街では、彩子と鞭打たれた夫婦、叔母さんの玉枝の一瞬、そして切り裂きジャックが正気である。殺人者である切り裂きジャックがそれでも正気を保っているように見えるのも、奇妙で怖いポイントである。

伊藤潤二先生が中津川市に住んでいたと聞いて、私は中津川に行く動機がまた一つ増えた。

きっと中津川市には、伊藤潤二ワールドの種が、そこかしこに転がっているに違いないと思いながら、アレかな?コレかな?と、彷徨いながら歩くようになったのだ。

中津川市は、苗木城など絶景も多く、ちょっと北へ遠出すれば下呂温泉もある。都会ではないが、歴史のある風格を備えた街だ。伊藤先生のマンガを抱えて、観光してみるのもきっと面白いかもしれない。






この記事が参加している募集

私の遠征話

推しのホラーマンガ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?