パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞…

パッパルデッレ

50歳の太ったおじさん。ゴミ屋敷を片付けたい。料理やワイン。時々、本を読んだり美術鑑賞。自分が亡くなったあと、子どもたちが私を思い出しながら読んでほしい内容を書きます。ちょっとリアルは「感想」の中に。

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誰に向けて、なぜ書いているか

冒頭にアンカーする記事を書いてみよう、ということで、わざわざ時間を使って、何を誰に向けてなぜ書いているのか、について書いてみようと思う。 まず、誰に向けてなぜ書いているかというのは簡単だ。自分の子どもたちに向けて、子どもたちが大人になって、自分が亡くなっていて、父のことが知りたければ読んでほしいと思って書いている。要するに遺言や遺書の類というわけだ。 私の父はすでに80を超えていて、昔から自分の父母(私にとっての祖母)のことを書くといっていながら、まったく書くそぶりをみせ

    • Osamu Dazai「HUMAN LOST」

      別に漢字をローマ字で書いていることに特段の意味はないのだが、ちょっとカッコよかろうと思ってやってみた、恥ずかしければやめる。 会社に『二十世紀旗手』を持っていって、持って帰るのを忘れた。だからKindle Unlimitedで「HUMAN LOST」をダウンロードして読んだ。なんで忘れたのかといえば、防災訓練のドサクサで、机の中に置いてきた。 作品なのかアフォリズムなのか、もうわからない。パピナール中毒で入院している状況を映し出そうとしている風にも見える作品だが、まあ、と

      • Osamu Dazai『二十世紀旗手』

        adoという歌手が歌う「唱」という歌があって、これの着想は太宰治の『二十世紀旗手』に所収されている諸作品の文体にインスパイアされている、と「喝采」などでも言ったが、「二十世紀旗手」にはよりその直接的な記号があった。 「創世記」でも「喝采」でも、句点を多用し、助詞を省略し、「語らず歌う」ような文章によって、書かれつつある物語内容を「朧化」するスタイルが採られているが、「二十世紀旗手」でも同様である。それ以上に、11章の断片で構成された「二十世紀旗手」の各章は、「一章」を「壱唱

        • 題名のない文章

          タイトルが思い浮かばない。だったら日記のように日付でもいいじゃないと思うものの、嫌われ者のおじさんなど、日記作者として興味を持つ人は少なかろう。何か社会で成しているという記号があればあれだが、その辺は訳あって開示できない。そりゃそうだ、あんな「ある社の人間関係」のような赤裸々な話を書いているんだから。まあ、登場人物たちは、連想比喩のリテラシーに疎いので、さすがに自分のことを書かれているとは思わないだろう。いやいや、油断は禁物ですゾ。なので、なるべく本当のことと嘘のことを混ぜて

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        • 「感想」
          7本
          ¥100

        記事

          今年のPTA顛末

          学童の会長2年目になる。そもそも、会長の補佐として5年間、総会資料を作ったり、議事録を記録したりしてきたので、長年、いろいろなことをやってきたような気がする。間に副会長も一回やっている。いずれにしても、グチグチ言いながら、なんやかやと関わってきた。 ただ、それをやっているからと、あんまり学校のPTAには関わってこなかったが、昨年くじを引いて、とある広報系の役職を引き当てた。午前中の会合という、勤め人にとっては鬼門の集まりだったが、会報誌作りが仕事だったので、かつて編集にいた

          今年のPTA顛末

          太宰治「喝采」とキャンプのこと

          もう、歌です。 歌。 大学の時に、後輩に、「太宰の何が好き?」と聞くことがあり、あんまりわかってない後輩「魚服記」、なんだかわかっている後輩「雀こ」、わかっているようでわかってない後輩「トカトントン」、俺、そんとき、代表作しか読んでなくて、『斜陽』。もっと、前期短編読んどけばよかったなー、と思った。 安岡章太郎氏の『僕の昭和史』。それ、自分たちもできるんじゃね、と『俺の平成史』。みんなが俺の私の平成史、編んだらすごくない?と思って、あちらこちらにLINEしても、返事なし

          太宰治「喝采」とキャンプのこと

          とある講演 〜感想7〜

          つまらない話をさせていただきます。「つまらねーのかよー」みなさんは思ったことでしょう。もう、スマホを見たくてしょうがない。わかります。私も中毒みたいなもので、ここで話しながらもメールチェックしたくて仕方がない。これはもう我々の時代の病弊としか言いようがない。同病相憐れむと申します。止めはいたしません。 ただ、つまらない話が、重要でないかと言いますと、それは違います。つまらないものこそ重要である、ということは往々にしてあることです。法律の条文、面白いですか?youtubeの方

          とある講演 〜感想7〜

          太宰治「創世記」

          筒井康隆みたいだ。 筒井にも『バブリング創世記』というリズムに特化した音楽のようなユーモア小説があるが、この太宰の「創世記」も、もちろん太宰の純な、はにかんだ心持ちが通奏低音で流れている、内容をもっているけれども、どこか音楽的で、リズムを感じる作品である。筒井康隆みたいだ、というのは、私の中の読み順での錯覚だけである。 ラップ、だよね。あるいは無意味な地口というか、ナンセンスな言葉遊びとか。電気Grooveの「B.B.E」とか「電気ビリビリ」とか、そういう感じ。ナゴムなセ

          太宰治「創世記」

          今年のドック

          「太宰治の何が好きですか?」と聞かれたら「「虚構の春」ですね」と答えたい気持ちに歯止めが効かない50歳のデブです、おはようございます。 さて、今日はこれから人間ドックでありまして、昨日は検便をとるのに大失敗、今日は大成功、やっぱり食事を減らすと朝の目覚めは快適だね!と思いました。 元来の臆病者。今から胃カメラのえずきを思って血圧が上がる感じなんですが、血圧上がり過ぎたらできないので、これまた悩ましいジレンマに囚われております。 でも、そういう時に、想起される事態を微分し

          今年のドック

          太宰治「雌について」

          『二十世紀旗手』。『二十世紀少年』じゃないよ。旗手。すごいね。アヴァンギャルド。前衛。何のこっちゃ。 「雌について」というタイトルもすごいが、男たちがアイデア出しのようにストーリーを語っていって、一つの物語をつくりあげるという形式で、そこで語られていることは、太宰の心中ストーリーを下敷きにしたものなんだけれども、形式面での刷新が、マジではかられていたんだな、と思うと感慨深いものがある。 私小説作家のようで、私小説作家と言い切れない。会話で話が出来上がっていく、『二百十日』

          太宰治「雌について」

          2024.04.16 〜また愚痴 ある社の人間模様21〜

          疲れまくりー。 何に疲れてるって、お前の昭和ー。 別にいいんだけど、言ってることとやってることが違うし、前もって約束したはずのことをしれっと別の形で提出する。ハイハイ、嘘つきですねー。 「嘘つき」だなあと思うんだけど、本人はそれを「理由ある変更」ってたぶん思ってて、私に了解を取った段で提示されていたプランを、上長の羅さんに提出する段で、なんらかの理由あって変更した。 変更したプランは、羅さんから申し渡され、もはや何を言うこともできないけど、こちらとしてはあの時「嘘をつ

          2024.04.16 〜また愚痴 ある社の人間模様21〜

          太宰治「虚構の春」

          やっと取り組み始めた「虚構の春」。 一読だと何がなんだかわからないけど、太宰がもらった(とされる)書簡が連なっている形式で、新しい。当時としては。 ナタリー・サロートのようで、それよりは理解しやすい。 小説形式として、書簡がやり取りされるものは数あれど、自分にくる感想やなりすまし手紙など、これって、ひところあった掲示板小説的なものの完成形じゃないかと思った。 見たまま書く、ほんとうのことを書く。そうした理念をどのように転倒させるか。セールスと芸術実践、この二つを太宰は

          太宰治「虚構の春」

          愚痴・読まないほうがいい・谷崎潤一郎の『文章読本』

          読まない、ひいては書かない生活がデフォルトになると、自分書かなくても生きていけるんだー、って思って、ちょっと寂しくなります。だから、無理にでも書こうと思うんですが、今から胃カメラを飲むときのあの感覚を思い出すとげんなりして、文章どころじゃなくなります。弱メンタルですね。どんなときにも、一定の文章を書き上げられる方、尊敬します。 胃カメラだけじゃなく、その先にある検査結果に、気持ちは揺れます。なるようにしかならないじゃない、その時はその時と、真っ当なアドバイスをいただくのです

          愚痴・読まないほうがいい・谷崎潤一郎の『文章読本』

          【創作】あわい

          気づいたら病院のベッドで寝ていた。あとから思ったことだけれども、麻酔か何かで体も頭もいうことがきかなかったからかもしれない。気持ちは妙に澄んでいた。どうしてここに寝ているのか。しばし、わからなかった。今思出せるのは、午後10時にかかってきた携帯電話の向こうで、美和がずっと私を罵倒し続けていた、ということだけだった。 電話を切ればいいのに切れなかった。美和に未練があったからかもしれない。付き合い始めて、一週間。同棲を始めた。そこで美和の卒業制作を手伝った。手伝ったというよりも

          【創作】あわい

          話がとっちらかってる

          細谷博の岩波新書『太宰治』が刊行されたのは1998年。私がちょうど大学4年のことで、就活もせず、とりあえず市場で働きながら、ちょっとした試験をモラトリアムのつもりで受けて、なんだか知らないけれども受かったので、わけもわからず市場の労働と並行して行くことが決まった、そんな真空の時期にあたる。 このころは文学についても、気持ちが離れていて、もうちょっと別の方向性を探し、かつて東博に勤務し、いまはどうやら関西の方で多少偉い人になっているっぽい後輩と一緒に毎週末原宿とかに出入りして

          話がとっちらかってる

          太宰、周辺の本

          太宰が最初に出した本である『晩年』を読み、「さて、次の本は。。。?」と物色している中、最近発売されたのか、習作ばかりを集めた『地図 初期短編集』を購入すると同時に、『二十世紀旗手』も届いた。はてさて、何を読もうか、感想を書こうか考えていたら、いわゆる彷徨三部作の最後である「虚構の春」が長くて、ちょっと読む気をなくしていた。パラノイアは、これだからいやだ。順番に読もうと決めたなら順番に読まないと気がすまなくなる。そのため、『晩年』の前に戻ることもできず、かといって、「虚構の春」

          太宰、周辺の本