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本の廃棄を検討する 15

すでに廃棄検討の話ではなく、所有する新書についてダラダラ語るという内容になっている。

私の寝ている部屋が上の子の隔離部屋となったために、今まで検討のために積んであった新書を再び戻した。

なんとなくもとの黙阿弥になっている気もする。

勝間和代『断る力』(文春新書 2009 第2刷)

意外に早い段階でこの本を買ったことに驚くが、しかし、断り切れずに2011年に病気をしたりするわけだから、この著者についても賛否あると思うが、間違った主張ではないような気がする。私たちはもっと断っていい。

断りきれない案件をやっぱり今でも抱えている。同じような主張を持つ本は勝間さんのほんではなくとも、色々あると思う。断捨離のそれも、あるだろう。主張は、それしかないわけだから、誰の本でもいいと思う。

まあ、捨ててもいいかしら。主張が明確な本は、主張に納得できたら、用が済んでしまうように思う。

内井惣七『シャーロック・ホームズの推理学』(講談社現代新書 1992 第8刷)

名著の一つである。だから捨てられない。

もし、7冊だけ残して、新書を全部捨てろと言われた時に、残すだろう1冊。

論理学における推論をシャーロック・ホームズを事例として、説明している。何度読んでも新たな発見があるのが名著の私的な基準だとすると、この本はユーモアがあり、内容についても繰り返し読むに耐える本。

簡単にまとめられないからこそ、面白い。

吉岡友治『いい文章には「型」がある』(PHP新書 2014 第2刷)

PHP新書を舐めていたけれど、吉岡氏のこの本は、なかなか良い。吉岡氏の本は、少し長い報告書や論文を書くことの指南が多いけれど、これはもう少し短めの文章についても言及がある。

私は吉岡友治ファンなので、一時期、色々と吉岡本を集めていたけれども、PHP新書の中では、これは、文章を構成して論理的なものにしたいと思う新社会人の人が読むといいと思った。

推し活的な本なので捨てない。

亀井俊介『ニューヨーク』(岩波新書 2002)

東京23区の印象は、人によって違うし、時代によっても推移する、ということがあるから、未来永劫亀井俊介氏のニューヨークの心理的地理観が事実に基づくものとは思わないけれども、アメリカ文学研究の大家の一人である亀井氏の描くニューヨークには一読の価値がある。

先日、亡くなった。私は亀井ファンでもあったので、比較的多くの亀井本を持っているから、これもまた、捨てられないのであろう。

松田道雄『私の読んだ本』(岩波新書 1988 第11刷)

有識者の読書本を好んで買っていた時期がある。松田道雄は教育者で、「育児の百科」が有名だったりするが、私はこうした戦後知識人に対するちょっとした距離感があったので、あまりキチンとは読んでいない。しかし、私の友人が松田道雄の研究をしていたので、せっかくだからと、買ってみた。

読書録というよりは、戦前、戦後の読書経験の記録として面白い。記録だし、読書録ファンでもあるので、捨てられない。noteの皆さんの読書録も同じように面白い。

県民学研究会編『思わず人に話したくなる長野学』(洋泉社歴史新書 2013)

これは面白い。県史、県のネタ関係は、大変に有益で、ちょっとした話のネタにもなる。地方に行ってブックオフに入って、この新書を探すケースもある。そういう意味では、非常に有益な本だが、歴史とかに興味ない人は面白くないかもしれない。

そんなに好きなら、Amazonとかで買えばと言われそうだけれども、各地域で買うのがいいのである。まだ長野学しか持っていない。

この新書は多分松本のブックオフで買ったんだと思うんだけれども、もしかすると長野駅前に出張で宿泊した時に、手持ち無沙汰で買ったものかもしれない。メモリアルなもの。捨てられない。

戒能通孝『小繋事件』(岩波新書 1967  第6刷)

これも名著である。ライトには書いていない。

岩手の北部山村が共同で利益を得ていた山(入会地という)が、明治になって所有者が生まれた。その所有者は引き続いて入会地として使う権利(入会権)を認めていたが、ある時に他の人に売ってしまう。

新たな所有者は、自分の土地のものしか権利を認めず、裁判になる。その裁判が大変に長引き、江戸と近代の権利意識をめぐる一大事件になっていく。

30円で買った本だが、なまじっかなドキュメンタリーよりも面白かった。名著。

タワマンをめぐる問題などを書く際に、参考になりそうだ。

この問題意識は現代にも通じる。

今回は名著が揃った。

やっぱり捨てられない。

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