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飯山と野沢温泉の思い出

仕事で飯山市に行くことがしばしばあった。

春先から夏にかけての短期滞在が主だったので、そのときには、野沢温泉に宿を定めたこともあった。どの宿がいいかについては、フェアではないので言わないが、スキーシーズン外の時期の野沢温泉は、雪解け水の音が心地よい、静かな温泉場と化す。

野沢温泉村の市街地は、坂の町だ。坂を登ったり下りたりしながら、足湯や共同浴場に入ったり、のぼせたり。湯が熱いので、多少涼しい時期のほうが楽しめる。雪で冷えた体を温めるには、これくらい熱い湯のほうがいいのかもしれない。ただ、温度は、自然に聞かなければならない。

坂の脇に編み目のように広がる排水溝を、キレイな水がちょろちょろと通り過ぎていく。人が少ない温泉街の昼間を、水の流れる音を聞きながら、散歩するのは心地いい。自然の音を音楽のように聴くことができるのは、周囲が静かでなければならない。しかし、無音でもいけない。ジョン・ケージの「4分33秒」のようなものだ。

私のお勧めは、いつしかできていた「LIBUSHI」というブルワリーである。オシャレなビアバーである。酒飲んだあとに、近くの「外湯 大湯」の風呂に入らないように。アツ湯に入ったらやけどするだけじゃなくて、血圧あがるよ。

また、「とみや」という酒屋は、長野や新潟のワインの品ぞろえが多いと同時に、シャンパーニュの品ぞろえもいい。ここで酒とつまみを買って、宿で飲む。なんなら飯山市に泊っていても、ここにくるくらい、私のおすすめの酒屋である。

また、私が行かない間に、ディスティラリーまでできているようで、クラフトジンが発売されていた。

ちなみに飯山市の中に、野沢温泉があるわけではない。

ここは野沢温泉村という独自の行政区域なのである。

次に、飯山市に行く。

河岸段丘の町飯山を見下ろす

県外の人は、飯山市と言っても、あまり印象は強くないだろう。私も、実際に行き来するまで、知らなかった。中野市の北、千曲川沿いに北東に長く伸びる市町村である。スキー好きの人は、斑尾高原があるところと言えば、思い出すかもしれない。私は、思い出すことはなかった。

初めて、飯山に行った時、2007年くらいだっただろうか、田舎だと思った。けれど、同僚は北信第二の都市といって憚らなかった。第一が長野市、第二が須坂市…と思っていたら、「須坂は長野みたいなもんですよ」と飯山ナショナリズムを隠さなかった。

木島平も飯山市なのだと勘違いしていたら、「あそこは天領でしたから」と、同僚はこれまた飯山圏の確定にこだわる。野沢温泉に行きたいなあと言っていたら、「あそこも飯山じゃありません。行くなら戸狩温泉ですよ」と煩く言われたことも懐かしい。

しかし、その同僚は「朧月夜、という童謡で有名な高野辰之は飯山出身で、飯山の風景を歌ったのがその歌なんですよ」というから高野辰之を調べたら、実は隣の中野市の出身で、それを言ったら、「中野は飯山みたいなもんですけどね」と無茶なことを言っていた。

高野辰之は、中野市出身で、国文学者であり、飯山で教員をしていた経験があるらしい。母が飯山の出身であったという。「菜の花ばたけに入日薄れ」は、まさに千曲川沿いに咲き誇る飯山の菜の花の風景を歌だという。今も菜の花祭りというのをやっていて、満開の菜の花の黄色は、人の心を和ませる。

この菜の花は、京都から持ってきたカブが実をつけずに花と葉っぱだけが生い茂り、がっかりしていたら、漬物にしてみたらどうかという提案に乗ったら、野沢菜漬けになったとかいう伝承があるらしい。これも飯山出身の同僚に聞いた話そのままなので、勘違いが混じっているかもしれない。

初めて食べた時は美味いと思ったが、毎日出て来ると飽きる。ただ、日を置いて食べると、やっぱり美味い。酒のつまみでもある。飯山市には「水尾」という有名な銘柄がある。妙高の酒と出どころは同じ関田山脈の雪解け水を使っているので、親しみ深い。これが滅法、野沢菜と合うのだ。と、飯山出身の同僚に言ったら、「北光正宗も試してくださいよ」だそうだ。常に飯山ナショナリズムを振るって来る。水尾はもろ飯山市街地にあるんだから、それでいいじゃん。

北光は戸狩の酒。これも「59譲」という造り酒屋の若手が集まって研究しているグループの一員で、チャレンジングな酒を最近醸している。これも美味い。

飯山市は仏壇づくりが有名で、私はなぜかその仏壇づくりで発展した彫金の体験をしたことがある。カンカン叩く音で、耳が痛くなるが、しかし黙々とする作業は嫌いではない。その後講師のおじさんに、なぜか軽トラでおじさん家に連れて行かれ、彫金の技術を描いたDVDを一緒に観るという目に。あの講師のおじさん、元気だろうか。

また、以前書いた記憶のある、オヤマボクチをつなぎに使った富倉そばの手打ち体験もしている。休日は暇なので、何でもやるのだ。これも、楽しく、そして自分で打った蕎麦は格別だ。これも「水尾」にあう。さっき調べたら、昔よくいった「かじか亭」の近くにもう一軒民家の中でお膳を前にそばを食べるところがあったように記憶しているが、もうやってないのかな。

そんな飯山も、私が最後に行った2019年頃には、すっかりさびれていた。

例の出身の同僚と一緒に目抜き通りを歩いたが、「俺の子どものころには、ここには祭りで出店が出て、大賑いだったのに・・・子どものときにここを歩くと何か買ってもらえるんじゃないかと楽しみでしょうがなかったのに・・・」と地方に例外なく押し寄せるシャッター通り化の波について慨嘆していた。

私は駅前にできた大きなTSURUYAというスーパーで、お土産に買っていくおやきを見繕っていた。このTSURUYAの冷凍おやきは、スーパーものと舐めることはできないクオリティである。

それはともかく、もう新幹線に乗らなきゃと思って出口に向かった瞬間、お菓子売り場にならんだ色とりどりのお菓子に目を奪われている六歳くらいの男の子を目にした。親に、どれか一つを選べと言われているのだろう、外観をみて、内容を推測し、戻し、また新たなお菓子を手にとり、ということを繰り返していた。

あのくらいの子どものとき、変化の乏しい子どもの世界の外側を知ろうと、様々なものをじっとみていたことを思い出した。ただ、お菓子を選んでいるだけにすぎないのかもしれない。しかし、選びながら、そこに書かれている絵や文章を通して、閉ざされた窓の向こう側に意識が向いていたように思う。

近所の駄菓子屋がつぶれて、コンビニが出来た。小学生だった私たちは、駄菓子屋ではなくコンビニに殺到した。そこには、洗練されたお菓子が数多く置かれていたからだ。駄菓子屋を懐かしく思うのは、もう少し、大人になってからだった。

あの子ももう、小学生高学年になっているだろう。自分が育ったところを本当に愛するには、一度、外側からそれを眺めてみなくてはならないと思う。飯山ナショナリズムの同僚は、あれほど飯山愛を私に振りまきながら、なぜか渋谷区に住んでいる。

郷土愛とは不可思議なものだとふと思う。

私は野沢温泉村や飯山市になんのゆかりもないが、偶然に出会った縁ゆえに、この土地を愛している。






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