男児、こじらせ、卒業

バンドブームもすっかり下火になった頃、俺もエレキギターを買った。

たまたま買ったスコアに奥田民生の「息子」があり、それで練習したが、結局身に付かなかった。

その時は奥田の「息子」も、地味な曲だと思って、そのまま通り過ぎた。

しかし、50も目前となり、寝っ転がってnoteを打ってる俺の横で、ゲームをしている息子がいる。あつ森なるもので、フグを釣ったとかなんとか騒いでいる。

ふと奥田の「息子」を思い出して、アレクサにかけてもらった。

これを作った当時、奥田も30歳くらいで、息子がいたとしても、さほどの年齢でもないだろう。けれども、想像で、親父の気持ちに切り込めるのはすごいと思った。

SDー1.5くらいで、同級生たちよりずっと小さかった。

整列はずっと一番前だった。

東京の保育園では、足が早いと思っていたのに、こちらの小学校ではそうでもなかった。というより、ビリから数えて何番目という感じだった。

季節の変わり目には必ず風邪をひいていた。

エビカニクスを布団をかぶってやっていて、段差を踏み外して、頭を打って、気絶して、慌てたこともあった。

それでも、少しづつ、背は伸びている。

最後の授業参観で、それがわかった。

先日、これからは風呂に1人で入りたい、というので、男同士一度風呂に入ったら、陰毛が生えてきたので、恥ずかしくなったようだった。けれども、逆に大人になれば誰でも生えてくるものだから、そのうち誰も気にしなくなるよ、と言っておいた。

男児の身体に関する悩みは、母親にも相談できず、1人で悶々と考えた末に、変な行動に突出することがある。それは俺も同様だった。仮性包茎かどうか悩んでいたら、親父が「手術するならお金出すぞ、お父さんの友達も切ってもらった」と言ってきて、それでずいぶん楽になったものだ。

そんなの抱え込まず言っちゃえばいいのに、という悩みを抱えたまま、こじらせることもある。それは男児に多い気がする。

声変わりをし、秘密ができ、仲間といることの方が多くなり、生意気なことを言うようになる思春期。

性の悩みは、なかなか人に言えず、苦しいだろう。

性だけじゃなく身体(の特性)のことも、あんまり人に相談できないものだ。

それについては友人たちのアドバイスは当てにならず、それどころか人は見栄を張りたがるから、基準はどんどん変な方向に過激化する。それに、どれだけ俺が振り回されたことか。

進路とか、効率とか、そんなものは自分の好きにやっていいし、友達同士で相談して、親には相談したくなければしなくてもいい。ただ、性と身体のことについては、悩んだら、俺に聞いてくれ。

答えはないけれど、悩んだ量はおそらく人に負けない。

最後の授業参観。そろそろ、みんな親を泣かせにきている。

そんなイベントだった。

懇談会でも、泣かせにきていた。

俺は「何を卒業するのだろう」の人だったので、スカしたフリをしていたが、真剣な演技をしていたと記憶する。

「卒業の雰囲気、出てきてたな」

「え?なんか卒業式の練習ばかりでつまんないよ」

「そうだな」

あの式は君たちのための式じゃない。

俺たちのための式だったんだ。

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