見出し画像

アクの強さと大器晩成

こんばんは。最近暖かい日と冷たい雨の日が交互に続く天気で、吹き抜ける風はせっかく芽吹いた桜の花を端からさらってしまうようで春も残酷な面を見せるものだなあと思いました。


実はここ二日間にわたって岐阜の下呂市を楽しんできました。都会の喧騒から離れたところで自然の恵みというやつにあふれておりました。しかしそれ以上にそこかしこに並ぶ杉の木によって自然の脅威にさらされました。彼らが身を粉にして果たすべきことを黙々となしている。そんな優秀な仕事ぶりを正当に評価できる体質に生まれたかったものです。いつか地酒を楽しんでみたいですね。


帰り道の途中で千寿堂というところでとちの実を使用した煎餅やソフトクリームを楽しんできました。味はナッツ類のような風味で素朴ながらもおいしかったです。どうやらとちの実とはとてもアクの強い植物のようで、虫も猪も食べないほどなのだとか。


この強いアクを抜くのに2,3か月もの月日をかけるそうです。大変だなあと思いました。ここまでで終わるとただの感想で何の面白みもないですね。


ふと考えてみました。


先人たちが優れた調理法を確立することによってこの木の実は商品価値を持つことができて地元の特産品のような地位を確立することができたわけですが、もしそうでなかったら、(失礼ながら)食べるに値しない、誰かに売ることもできないお粗末な木の実として無視されるようなものだったのではないでしょうか。そのポテンシャルを見出し引き出そうと懸命に試行錯誤を繰り返した人が確かにいたということを考えると、この木の実はなんだか大器晩成のように思えます。


一度手を付けてみたが駄目だと分かった。じゃあもうこれには価値はない。
そう思ってそのまま後にしていくひとは多いのではないでしょうか。
ある意味ではこれは正しいと思います。時代に乗り遅れないようできるだけ早く目に見える成果を残すことが重要で、そのために早めに見切りをつけて次の対象に移っていく。現代社会を生きていくうえで有利な戦略だと思います。


でも、だからといってここで放り出してしまうのではなく、別のやり方を試してみる。あきらめずに繰り返し手を加えてみる。種を蒔き続ける。
そういうやり方もあっていいと思います。はたから見れば不器用で効率の悪いやり方かもしれませんが、この方法なくしては思いもよらない利益や利用方法を見出したりできないのではないでしょうか。エジソンの電球発明の有名なエピソードが頭をよぎります。

わたしは決して、失望などしない。どんな失敗も、新たな一歩となるからだ。

ほとんどの人の弱点は、ほんの1、2回の失敗でやめてしまうことなんだ。

世の中の誰もが納得するような、常識的な考え方をしていたのでは、新しいものなど作り出せはしない。

なんてことのないものにも価値を見出す。なんともクリエイティブな思想ではありませんか。実用性のないものに利用価値を見出すことに創造精神が宿っているのでしょうね。


つまりアクの強い人間は手間暇かけて面倒を見てやれば化けるタイプ、大器晩成ですね。年齢や時間に惑わされず地道に積み重ねていきましょう。いつの日か唯一無二のゆるぎない個性を身に着けているはずです。


私は何かをしている最中に時々、こんなことをして意味があるのだろうか、とか、これを学んで人生にどう活きてくるのだろうか、などと考えてしまいます。


それは、それをしていること、あるいは学んでいることが普通に考えれば実生活に直接的に寄与しているとは思えないからです。つねに先のことを考えると無駄なことを排して理想の自分に少しでも近づくことができるように最短ルートを選ぶべき、という考え方が根底にあるからでしょう。


だから、たとえば「頭がいいと思われるような人になりたい」であればいわゆる”社会人としての教養”が身につくような本をたくさん読んだり就活で役立つような資格勉強をすればいいわけです。


でも果たしてそれが本当に自分の理想とする人物像なのでしょうか。それをして自分は満足できるでしょうか。結局は上っ面の知識だけが身についた社会にありふれる何の特別味もない人間になってしまうのではないでしょうか。もちろんそのような人たちを悪く言うつもりはありませんが、自分はこのような生き方に納得いかないだろうという直感が働いてしまうのです。


しかし前に進めている実感を伴わずに季節をまたぐのは自分にとってたまらなく怖いので日々葛藤を重ねているのです。なのでそのたびに、これは種を蒔いているのだ。自分自身に言い聞かせて高ぶる感情を鎮める必要があるのかなあ。と思ったり。


そもそも言い訳になってしまうのですが、自分の出生図では個人天体のほとんどが土星とのアスペクトをとっているのでまわりにくらべて行動が鈍いのは仕方ないと思っています。何事もこつこつとやる性質なのにどこか没頭しきれず周りを見ると焦りが…。


とちの実がそのアクの強さにもかかわらず地元の人から愛されているように自分も時間をかけて自分の中の感情や葛藤と折り合いをつけて円熟味のある人間になりたいものです。


とりあえず本でも読みます!ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?