中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉘「中国最古の白馬寺を見学して」記録者山田秀子隊員

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉘「中国最古の白馬寺を見学して」記録者山田秀子隊員 二九日の朝、七時三五分ホテルをバスで出発。ガイドは昨日と同じ陳さんです。洛陽も今まで訪れた西安、大同、太原と同様どこまでも高層ビルが建ち並んでいます。高速鉄道の洛陽龍門駅前は地下鉄の造成工事真最中です。「洛陽は急ピッチに開発が進められている。海岸部の都市より大きく発展するだろう」と未来にかける陳さんの力強い説明がありました。
画像2 の洛陽市街から東へ一二キロに位置する白馬寺。近づくにつれ田や畑が広がり、道路沿いには昔ながらの商店が並び、農業用や商売用のリヤカー付きバイクが行き交うホッとできる風景の中に白馬寺はありました。  白馬寺は、仏教が中国に伝来した後漢時代(紀元六八年)に朝廷が創建した中国最古の仏教寺院であることから中国第一古刹と呼ばれています。  寺の名の由来には諸説がありますがその一つが次のようなものです。
画像3 の洛陽市街から東へ一二キロに位置する白馬寺。近づくにつれ田や畑が広がり、道路沿いには昔ながらの商店が並び、農業用や商売用のリヤカー付きバイクが行き交うホッとできる風景の中に白馬寺はありました。  白馬寺は、仏教が中国に伝来した後漢時代(紀元六八年)に朝廷が創建した中国最古の仏教寺院であることから中国第一古刹と呼ばれています。  寺の名の由来には諸説がありますがその一つが次のようなものです。
画像4
画像5 山門から南北中心軸にそって南から北へ南向きに天王殿、大仏殿、大勇殿、接引殿、清涼台などが並んでいます。白馬寺は薫卓の乱による洛陽の大火災で罹災して(一九〇年頃)、三国時代の魏により再建、唐代に則天武后によって大改修されたものの火災により現存の建物は明、清時代に修復されたといいます。
画像6 天主殿では四天王を祀り中央には布袋様が祀られています。中国では布袋様が弥勒菩薩ということです。ガイドの陳さんによると、九一六年、南部の寧波に大きなお腹をした笑い顔の僧がいました。人々の嫌なものを全てお腹に飲み込みいつもにこにこと人と接していたが、死に際に自分は弥勒菩薩の化身であると言い残しました。ここから弥勒菩薩は布袋様であると祀られているそうです。
画像7 次は大仏殿を見学。中央に釈迦牟尼仏、両脇に普賢菩薩、文殊菩薩が祀られその背面に観音様が祀られていました。
画像8 大雄殿では木と布で作った釈迦牟尼仏の他に十八羅漢が並んでいました。八〇〇年の歴史のある国宝だそうだ。  その奥の清涼台には摩謄殿と笠法蘭殿があり、ここで翻訳をしていたそうです。山門の赤れんがとは違い、建物の瓦は黒の荘厳な寺で庭には大木が並び読経の声が静かに響いていました。
画像9 清涼台から少し歩くと空海の像が建てられていました。「留学の途中、白馬寺で碩学する」という説明がありました。愛媛県の日中友好会がたてられたそうです。その他境内には国際交流の一環としてミャンマーやインドの寺も建てられていました。
画像10
画像11
画像12
画像13 記録担当の山田秀子さんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?