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すき家の牛丼

終電から始発までの間に行く牛丼屋が好きだ。
朝まで飲んだ帰りの締め、しこたま麻雀打った日の帰り、午前3時に襲ってくる魔の食欲、それら全てを暖かく包み込む余白が真夜中の牛丼屋にはある。


その日の予定を全て消化した午前2時、聴き慣れた電子音と共に店に入ると、外国人の女性店員とスーツを着た若い女性がなにやら口論をしていた。
聞こえてくる話の断片を繋ぎ合わせるに、牛丼を頼んだのにも関わらず豚丼が入っていたという事らしい。
外国人の女性店員は必死に頭を下げ、拙くも一生懸命な日本語で女性に対し謝罪をしていた。

「すみません。すぐに作るのでちょっと待てますか」
若い女性「もういいわ、急いでるし」

と外国人店員を睨みつけ、店を後にした。

恐らく急ぎの用事の為に牛丼屋に寄ったのだろう、気持ちは分かるが相手は外国人、母国というホームグラウンドで母国語というハンディを貰ってる上でのその対応はどうなのかと身勝手な憤りを多少覚えてしまった。

「ここは日本人の器の広さを見せねば」20歳の僕はそう思い、外国人の女性店員を元気付けようと目論んだ。

店の中で食べる予定だったが予定を変更しテイクアウトに切り替え、
「牛丼並盛り一つ、テイクアウトでください。」クソコラチー牛よろしく早口で並盛り牛丼を注文した。

流石は牛丼屋、物の数秒で商品が出てきた。
ここだ、と


「注文なんて誰でも間違えるし、全然気にしなくていいですよ、お仕事頑張って下さい。応援してます。」

上手く言葉が相手伝わってるかは定かではないがこちらの目を真っ直ぐ見つめ「ありがとうございます。本当にありがとうございます。」と片言の日本語でそう言ってくれた。


「キマッた……」


連絡先を聞かれるというB級神漫画展開は無かったが良い事をした、その余韻に浸りながら料金を払い、有頂天のまま足早で家に帰り、楽しみにしていた牛丼屋の袋を開けた。



















中には鉄火丼が入っていた。

もう一度言う、中には鉄火丼が入っていた。


煌びやかな白米の上に艶かしい牛肉の毛布を敷いたこの星の奇跡がそこには無い。



その後のことをあまりよく覚えていない。ただ、そこには物語があるのだと思った。

たった1人で泣きながら牛丼を頬張る中年のサラリーマン、ここが私の席だと言い張るイカれたマダム、取り皿のオーダーに対しバケツを提供するネパール人、午前4時何も会話せずひたすらに牛丼をかきこむ中学生ぐらいの男女。

これまでの人生で本当に様々な人間に牛丼屋で出会ってきた。そんな人々全てを温かく包み込んでしまうような余白が、真夜中の牛丼屋にはある。

背景、15歳の私へ
道ゆく電柱を蹴り飛ばしながらその痛みで道端に蹲るような生活を送っています。
15歳の頃に思い描いていた自分とはだいぶかけ離れているけど、人生とは予測が付かないものだから面白いのです。
いずれ頂点で重なる時計盤の短針みたいに今この鼻をかすめるチキン肉4枚盛り定食(特盛)の香りが悠久の時を超えて15歳の自分に届いたらいいのに。

牛丼屋で働く全ての人に感謝を。

鉄火丼を添えて。

(写真は吉野家の牛丼です)

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