13年務めた教員を退職した理由(詳細Ver.)
昨日もたくさんの すき をありがとうございます。
それだけ、「教員」「退職」が結構注目ワードなんだなって実感しました。
昨日は途中で切り上げたので、詳細Ver.です。
昨日の、ざっくりとした話も是非読んでみてください。
13年務めた教員を退職した理由|このみん@北海道 (note.com)
↑でも述べた、
「なんとなく次」「生徒も保護者も教員も不幸な教育をして楽しい?」「日本の教育ってハイプレッシャー!」てところなんですが。
ネパールで協力隊として、公立学校で教員として働いていて
働くのは2の次。まずは生活を確保することが1番!っていう生活をしていました。
ネパールは、発展途上国(アジア最貧国)なので
水も電気も十分にありません。
でも、そんな不自由な生活に私は、「生きてる~!」って感じたんです。
「生きている」実感って心地よい
働いた後のビールより
自分へのご褒美としてのケーキより
インターネットで手に入るグッチの財布よりも
肉を買いに肉屋さんへ
野菜を買いに八百屋さんへ
牛乳を買いに牛乳屋さんへ行って
調味料が足りなければ隣から借りて
寒ければ焚火をたいてみんなで丸くなって身を寄せ合い
ぬかるんだ道で動かなくなった車をどうやって抜け出すか考えて
気が向かなかったら他人に任せる
そんな生活の方が、「生きてる」って感じたんです。
あれ?仕事って何だっけ?って思って考えるけど、
「まずは牛乳買いに行こう」「洗濯は今干すしかないな」と考えるので忙しいからそっちのけ。
不便なはずの生活が、
仕事に没頭する生活よりも心地よくなっていった。
日本に帰ってきて感じたのは
情報量が多くて目が回る(ポスターいっぱい。色いっぱい。)
みんなが早くて目が回る(一息つかないの?)
効率の良さを求めて動くので隙がない(話したいのにな。)
そんな生活の中での学校は、
子供たちのやることが多くて大変
保護者も子供のサポート大変そう
クレーム受ける教員の本来やりたいことって…?
と、まさに
「子供も保護者も教員も苦しい世界」。
帰国してきて、2年は続けようと思っていて
気付いたら4年経っていた。
4年目で卒業生を出すタイミングで
次年度も同じ生活をしている自分が想像できなくて
「あ~次(の職?ステージ?)に行こうかな」と思えた。
ここまでが、
13年続けた教員を退職した理由の詳細Ver.でした。
長く書いたな。うん。
お疲れ、わたし。
今日の画像は、ネパールでの写真です✿
帰りに「山登って行こうか」と同僚の先生に誘われて、
標高1500~1600mを1時間ほどハイキングして帰宅。
今考えると、健康的だったな~あ。
次回は、「退職届を出してから半年間でしていたこと」だったかな?
・・・ゆる~く行きます♡
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