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Light and Shadow-「哀」を感じる

こんにちは! あら50りっぷです。

 冬から早春の楽しみといえば、ひときわ澄んだ「碧」い空と斜光によって絶妙に彩られた景色の美しさです。日頃よく見慣れた風景も、冬の光のもとでは全く違った印象になるのが不思議です。

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 それにしても… この寂しさ、物悲しさの感覚はなんなのだろう?

 自分だけが持つ感情なのか? なにかのトラウマによるものか? あるいはこの時期は誰もが持つ感情なのか? 「冷たい空気」「冬の日差し]「斜光に彩られた景色」の3つを身体が感知すると、脳内に無性な寂しさ、物悲しさが溢れてくるのです。孤独、別れにも似たこの感覚はいったいどこから来るのでしょうか?

 この感覚は、中学生から寮生活をするために家を離れることになったあの時の感情に少し似ている…

 孤独・・・という観点から古い記憶をたどれば、わたしは中学生のときに寮生活をするために家を出ることになりました。家庭に問題があったのではなく、単純に遠方にあるミッションスクールに入学・入寮したからでした。その後、高校生の3年間も寮生活だったので、通算6年間も親元を離れていたことになります(休暇には帰郷していましたが)。小学校を卒業したばかりの10代のはじめに親元を離れるのは、心因的にもかなりのストレスだったはずです。ではこの「寮生活」が自分にとって負のトラウマになったのかと言えば、正直寂しさを感じた日は数えるほどしかありません。ミッションスクールの日々は、深い友情で結ばれた友人たちとの出会いや、敬愛する恩師たちとの交わりなど、むしろ他では経験できない喜びに満ちたものでした。これをトラウマと呼ぶのはあまりにも早計過ぎる感じがします。(その中学校の校舎が昨年春、移転によって閉鎖されることになるのはまた別の話)。

毎年冬になると、寂しさやなんとも言えない物悲しい感覚に襲われる原因は何なのか? 学生時代からずいぶん時間が過ぎてしまった今でも、納得できる答えには出会えていないのです。

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日曜日、今日はいつもより遅出をして青梅のスタバで軽い昼ごはんを済ませ、奥多摩方面に向けて走り出します。朝には寒かった気温も日差しとともに高くなって走りやすくなりました。

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今日は0℃対応のウィンタージャケットでは暑すぎるので、Sportful Fiandre Norainの薄手ジャケットとビブ、それに同仕様のレッグウォーマーで走ります。この組み合わせも今年で4シーズン目。いいものは長持ちしますね! グローブも一番薄手のものにしました。

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宮ノ平駅で見上げた空は、どこまでも澄みきった空の碧と美しい雲の造形

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この空の「碧」がたまらなく好きですね〜。中央上に月を入れて撮影してみました。午後の柔らかな日差しが風景を優しく包みこみ、なんてことのない風景がいきなり「映える」映像となって網膜に届きます。まるで古い映画の中に迷い込んだような、ごく近所なのに遠く見知らぬ土地を旅しているような感覚、そして「あの」寂しさ・物悲しさの感情も入り混じって思わず涙が浮かんできます。やっぱり変なのかなあ? 毎冬繰り返すこの行事に「今年も来たかー!」と呆れてしまいます。

15時をまわると、体感気温は急激に寒さを増してきました。週末に風邪をひいては仕事に影響するので、ゆっくり帰路に着くことにします。

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家に帰り着く頃にはすっかり陽も陰り、今日一でもっとも美しい夕焼けを眺めることができました。この橋の上から見る夕焼けは天下一品です。

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日曜のわずかな数時間。距離と時間を考えたら大したことのないライドですが、小さな思い出を記憶として積み重ねることはできます。毎冬訪れるこの不思議な物悲しさが、いつしか喜びの記憶にとって変わる日は来るのでしょうか? そのことを願いつつ… さあ、今週も頑張れそうだ!

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