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子どもが亡くなる #39

 能登半島地震ではたくさんの方がお亡くなりになられるとともに、現在もたくさんの方が行方不明となっておられます。重ねてご冥福をお祈りいたします

 学校に勤めていると、人が「亡くなる」ことに出会うことがあります。これは避けることが出来ない日常でもあります。
 お父さんが朝起きてこなかった、またお母さんが投薬の甲斐もなく病院で‥。中にはがんの闘病で病休をとられていた先生が薬石効なく亡くなられたこともありました。
 学校ですから辛い話ですが、学校に通ってきていたお子さんが亡くなることもあります。お子さんの場合は、本当に辛いものです。お父様やお母様の悲しむ顔、そして学級から響くすすり泣きの声々、お子さんの使っていた机の上に飾られた花、廊下を静かに通る子ども達の思い。どれも辛いものです。
 以下の話は、20年程前になりますが亡くなった女の子のことを学校だよりの校長室風景に載せたものです。
(平成19年3月2日 N小学校での学校だよりより引用) 

『N○○○○さん逝去
 本校3年3組のNさんが、一昨日2月28日(水)19時15分頃急逝されました。Nさんは、○○まつりのあった昨年の夏7月27日の夜、けがをしたのをきっかけに入院した際に大きな病気が分かり闘病されていましたが、投薬空しく亡くなりました。翌日3月1日(木)には、3年3組そして3年生全体に担任の○○先生と私からNさんが亡くなったことを子ども達に伝えました。その夜には、通夜が執り行われ、本日は葬儀が市内の葬祭場で執り行われました。
 葬儀に先立ち、本校では朝から全校児童集会を行い、私の方からNさんが亡くなったことを伝えると共に、私達がNさんから教えてもらったことを話しました。子ども達の中には、Nさんが亡くなったことを率直に受け止めにくいお子さんもいるようでしたので、子ども達にはゆっくり語りかけるように次のことを話しました。 
 ○ 悲しい時は、思いっきり泣いてもいいんだよ
 ○ 誰でも死ぬ時が必ず来るんだよ
 ○ Nさんは最後の最後まで病気と一生懸命闘っ たんだよ

 そして、最後に、校庭での見送りの時は、一人ひとりが心の中からNさんに、「ありがとう。僕(私)は、~がんばるよ。」と言えたらいいねと加えました。
 Nさんの病状が少し悪くなった2月始め、3年3組の子ども達に、私は「Nさんってどんなお友達?」と聞くと、学級の子ども達は口をそろえるように次のように話してくれました。「Nさんはやさしくて。とっても思いやりのある子だよ。」「いつも友達の話を聞いてくれるよ。」と。
 何にでも興味を示し、それを一生懸命に取り組んだNさんの机の上には、今、淡いピンク色のチューリップの花が飾ってあります。Nさんのご冥福をお祈りいたします。』

 人が亡くなったことを伝えるのは本当に辛い話ですが、私にとってはゆっくり子ども達に語りかけることが精一杯のことでした。これは私自身が自分に(落ち着いて……)と言い聞かせて話したことだったことかも知れません。そして学校だよりに載せることも‥。 
 特に先日の地震による突然の死、事故等で亡くなることも報道される毎日ですが、学校でも「亡くなる」ことは、起こった時は身内には身近かな出来事になります。そんな時、どのように話をしたらいいか。泣いている子達にどんな言葉をかけたらいいかが本当に難しいものです。
 でも話はしなくてはいけません。事実は事実として、ただどう受け止めさせるかは一考を要するものです。(上記のお子さんの例をとれば)どこかで、その子の死が生かせればなおいいと思いながら……。

 そのお子さんをことを思い、私は子ども達と学校にある木を植えました。(挿絵の絵です)20年経ってその木は大きな木になり初夏には濃いピンク色の花を、秋には実を実らせます。また命日には、今でも同級生の子達がその子の実家に集まっているようです。その子達はもう29歳になりました。(令和6年1月16日)

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