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子どもに東日本大震災を伝える  その2 #44

 「子どもに東日本大震災を伝える その1」(昨年9月に書いた#24)の続編をと思っていました。      しかし今年になって元旦には「能登半島地震」が、そして4月3日には「台湾地震」が起き、地震の報道が続いています。
 そこで今回は「その2」として、緊急時の対応とは、そして学校の職員や子どもにどう向き合うかについて、自分の経験を綴っていきたいと思います。

 東日本大震災が起こったのは、平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分でした。私は市の校長会の会合があり学校に戻ったのが3時半過ぎで、事務室の先生から「大変なことが起こっています。」との報を受け震災を知りました。状況をまず把握した後、(子ども達は既に下校した後でしたので)すぐに職員を職員室に集合させ地震の発生の「事実関係」を伝えた上で、今後向き合うであろう職員としての「対応の心構え」と「月曜日の対応」について簡単に話をしました。そして翌週の月曜日に以下のプリントを配布しました。

地震後の月曜日に職員に配ったプリント

 平成23年3月14日(月)の朝8時。
 始業時前の8時に、職員室に職員を集め上記のプリントを説明しました。
 「子ども達は、今日は、連日のニュースを見て『悲しい』そして『辛い』気持ちで一杯になって登校してきています。先生の話を早く聞きたい。早くみんなと一緒に『不安」を話したい。そんな気持ちで一杯です。今日ここに書いたプリントは、当たり前の内容ですが、皆さんが子どもの前に立った時に手持ちしてもらうと、皆さんには『安心して子どもに話し出せるきっかけ』のプリントになります。

 ・ 子ども達にまず事実を伝える
 ・ 今の東北の小学校の様子をもとに伝える
 ・ 福岡でも地震が起こるかの素朴な疑問
 ※ 子ども達に考えて欲しいこと

 では、教室にあがり、子ども達にゆっくり話をして下さい。」

 その後、私は教室を見て回りましたが、全国の学校が同じように、不安で辛い『朝の会』になったと思います。でも、この日、市教委からの通達があったわけではありませんが、私の学校では全職員で『方向を決めた話』が出来たのは確かでした。
 学校は、生き物です。
 一歩下がって考えることは簡単ですが、「一歩」を確かに進めることは難しいですが必ず出来ます。
 1年の男の子の「怖かった」の思いに、
 6年の女の子の「私には何が出来る?」の疑問に、当時の担任達はきっと真剣に話ができたと私は思っています。

 東日本大震災後の最初の月曜日の朝の会。
 13年前の事ですが、全国で子ども達にこのような思いが伝えられたことと思います。今から13年前のある学校の取り組みでした。

 今回冒頭に入れたスケッチは、震災の日の夜のニュースで子ども達が屋上に逃げている模様と伝えられた宮城県山元町の中浜小学校の建物です。その日の夜中に目が覚めた時、このニュースが思い出されて仕方がありませんでした。今回そのことを思い出してスケッチをしてみました。     (令和6年4月11日)




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