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枇杷は美味しかった? #40

 昨日、懐かしいハガキが届きました。
 差し出し人は、私がH小学校で3年生の担任をしていた時の教え子(Aちゃん)でした。その文面を見るのも数年ぶりでしたが、何よりも本人の自筆を見て私はとても嬉しかったです。

 実は、Aちゃんとの出会いは今からおよそ26年前?にさかのぼります。3年を受け持った当初、2年の時から不登校気味だと前担任から聞いていましたが、私としてはそんなことよりどんなお子さんなんだろう?何が好きなんだろう、そして放課後はどうしているのだろうかとそんなことをよく考えていたことを今でも覚えています。3年生となりしばらくすると、次第に不登校気味になり、その子が朝から通っている(学校があるときはいつも放課後に通っていた)施設に学校の資料を届けたりしていました。
 不登校の理由は何だろう、登校刺激を与えてはいけない。休みが続き始めた頃、そんな言葉(不登校児対応のマニュアル等?)がまわりで飛び交う中で、私はその子の気持ちをいつも考えていたことを強く覚えています。
 「今、何をしているのだろうか?」と。

 6月の終わり頃です。学校の前庭に枇杷(ビワ)の実がすずなりになっていました。それを技術吏員さんと一緒に取っていた時です。私は、その枇杷を見てこれを届けてあげようと思いその子のいる施設に届けたこともありました。しかし、その時は枇杷のこと(食べてくれたかどうか)は全く分かりませんでした・・・・・・。

 Aちゃんは、その後4年生の時も学校にはイベント時の出校はありましたが、登校は少なかったのは確かでした。しかし家庭訪問は機会を見つけて行いましたが、その都度、家にいらっしゃったお母さんと「(お兄さんと本人は違うので)本人の気持ちを大事にしましょう。」「(お母さんがおっしゃる)本人が楽しんでやっていることを私達も楽しみにしています。」と話をしていたのを覚えています。

 その後Aちゃんは高学年になって他の校区に転校しましたが、お母さんとの連絡は時々していました。中学もあまり行っていないけどフィギュアスケートをがんばっていること、高校は私立高校に進んだことも……。

 そして10年後の3月末。私が、校長として初めて赴任した市内のN小学校で、たまたま職員室で職員に離任の挨拶をしていた時でした。
 玄関に来客がありますの伝言を受け玄関に行くと、
「先生、私、だれか分かりますか。」
 そこには明らかに若い大人の女性が立っていました。私は直感で「Aちゃん?」と言っていました。
 新校長として赴任3年間の思い出に浸っていた私の気持ちは一瞬にして吹き飛び、次の瞬間、10年間の思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。そこで彼女から聞いたのは、北陸の大学に進んでいること、そして今から北海道の牧場に一年間働きに出かけることでした。あまりにも突拍子もない言葉の連続に私はただ頷くばかりでした。
 しかし、私の心はうれしさに満ち溢れていました。

 それからもご両親には賀状だけは出させて頂いておりました。

 そして昨日。N小学校で出会って16年ぶりに、私の手元にの一枚のハガキが届きました。
「く○○○先生。・・・・・・
 昨年は初めてインド長旅に出掛けました。お陰様で素晴らしい半年間でした。・・・・・・私も元気です。」

 不登校児。と言う言葉は知っていますが、ここに登場するお子さん「Aちゃん」はもう子どもではなく、立派な一人の大人になっていました。昨年70歳になった私ですが、一度会いたいなあと思いました。
 26年かかりましたが、枇杷は美味しかったとの話が聞けそうです。(令和6年1月18日)

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