日本を取り戻したい

今日は朝から靖國神社に参拝した。
遊就館を久しぶりに見学した。
前回の見学からその間に新たな知識があるものだから、全てが新鮮に感じた。御羽車の展示を見るのが主な目的であったが、終戦までその行事は行われていた。母の連れ合いも日中戦争で亡くなっている。骨壷には石だけが入っていたと聞いている。だから御羽車の行事は知っていたのだろう?
当時はNHKにて全国中継されていた。展示場にはその録音が流されていた。配置図には遺族席が書かれて、遺族宛、行事の案内状が陸軍大臣名で送付されていたものが展示されている。

午後は、「ペリリュー島守備隊慰霊と顕彰」にて、西村真吾先生、奥本康大氏、茂木広道氏の講演を伺った。
ペリリュー島では「帝国軍人が土人と一緒に戦えるか!」と言って戦闘を希望する島民を庇った中川洲男大佐が有名であるが、米軍の損耗は、あのノルマンディー上陸作戦を上回っていたとは初めて知った。さらに、日本軍の攻撃で精神疾患を患った米兵士が多くいたらしい。以前、「艦砲射撃を止めるから、どうか闇撃ちはやめて欲しい」との交渉を米軍から持ちかけられたと聴いたことがある。

2021年、東京五輪サーフィン会場九十九里浜に上陸して来てたら100万人の米兵が死んでただろうとお話しされた。
西村真吾先生から学ぶ日本軍の強さは驚きである。
昨日の小堀桂一郎先生の特攻のお話し、ペリリュー島、そしてレイテ沖、硫黄島、沖縄、全てが驚きであると同時にこれが我々の先人だと思う。その日本人を育てた日本女性も凄いと思う。

そういえば、私の父は戦車部隊の訓練中に終戦を迎えたそうだ。もし戦争が続いていれば九十九里浜で父は戦死してたのかも知れない。

攻撃は最大の防御

と言われるが、攻撃は攻撃であって侵略ではないことはもちろんのこと。日本人は長く鎖国して穏やかに生きて来た。西欧人はヘロデ王がイエスを殺しにやって来ることから恐怖で生きて来ていないか?
その心理が攻撃性の源に感じる。
イギリス国教から迫害された清教徒が米国大陸に逃れネイティブ・アメリカンを900万人も殺し、今は我が物顔で生きている。もちろん、その人たちだけではないが。

同じことがアジアにも迫り、我が先人は立ち上がざるを得なかった。始めたら日本は強かった。その延長の途中だと思う。

堪ヘ難キヲ堪ヘ忍󠄁ヒ難キヲ忍󠄁ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平󠄁ヲ開カムト欲ス

人類平和はもう直ぐなのか、まだ先なのか?
それは分からないが、ただ、前に進むのみ。
坂本龍馬は
死ぬ時は前のめりに死にたい
と言ったと記憶している。

今日の一日の写真を添付します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?