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自画自参【永遠プロトタイプ】その3【CatFish】

夏の[R&R carnival]にてもらったフライヤーの日程は8月だった筈。今思うとサイコビリーのオムニバスのジャケットをあしらったデザインのフライヤーで、ライヴは無しのDJのみのイベントでした。

この時代(1992〜1994辺り)は、ライヴ無しのDJがかかるフロアでBOP(足を使ってステップを踏む)、やストロール(当時は女性が中心で同じターンやステップでミドルテンポの曲に合わせて踊るスタイル)、JIVE(男女の組み合わせで踊るジルバのようなダンス)を踊るイベントが多くあり、毎回沢山のお客さんだった。まだ,そんなカルチャーにも触れていない私がフライヤーを見ながらトボトボとミナミの街を歩いて向かった四ツ橋あたりにあったその場所は【CAT FISH】。

普段はジャマイカの雰囲気通りレゲエなどがかかるようなクラブのようでしたが、rockabillyのDJもイベントとしては行われていたようです。

フライヤーにあった地図を頼りに、まだスマホなんてないし、まして携帯も30才超えるまで持ってなかった自分の頼れるものは“勘”だけ。イベントの夜、手書きの地図にあった“fire station“の意味が全くわからず、ミナミの街を1人ウロチョロ(答えはfire station→消防署)。その頃から自覚はしていましたが、なかなかの方向音痴っぷりを遺憾なく発揮。既にオープン時間は過ぎてしまう事態。やっと着いた時は既に何人かの人がカウンターでお酒を嗜んでいました。

恐る恐る、しかし田舎者である事を隠し(たつもり)てカウンターに座りワンドリンク頼んだ記憶。(お酒かソフトドリンクかも忘れました)隣を見ると私の何倍もの高さのリーゼントにした人や、金髪のボンネットヘアーで明らかにブライアンに寄せた風貌の人、ポンパドールやパニエ?チュールみたいなシルエットで50s柄たのスカートとピンヒールやサドルシューズでドレッシーな女の子など、見渡す限り[R&R carnival]の古着主体のファッションとは異質の、いわばネオロカビリーの集まりだという事が現場で判明しました。

フライヤーを頂いたフランキーさんの姿はなく、誰かもわからない、そしてその人たちも私を誰かわからない同士が肩を並べるカウンターで20分ほど。その間、金網で仕切られたDJブースではロカビリーがなかなかの音量でかかっているところ、フランキーさんの姿をみて挨拶して少しの間お話をした事、隣の人たちに私を軽く紹介してくれたフランキーさんは奥のスペースの仲間たちの方へ流れて行き、私はまた孤独のグルメ宜しく音楽とグラスを眺めてはチェーンスモークの時間を過ごしていました。

いた時間の中でかかっていたのはロカッツ、ポールキャッツ、ロバートゴードン、シェイキン・ピラミッズ、ブルーキャッツやデイヴ・フィリップス、は当たり前にかかっていたかと思うのですが、まだ、私のrockabillyの知識もcollectingについても初心者中の初心者だったので、誰の何がかかっているのか曖昧でしたし、自宅で聴くよりも遥かにラウドな音量で聴くrockabillyはウッドベースの低音とスラップも相まってかなりスリリングに響いてきました。

カウンターに座って一時間ほど居ただろうか…

そろそろ居心地が悪くなってきて帰ろうかなと思った頃に突然数十人の大集団が入ってきた。これにより入口〜カウンター辺りの人口密度が膨らんで直ぐには帰れない状態になってしまう。しかし、そろそろ終電の時間も近づいて来た。

そうこうしているうちに、しっかり酔いが回っているフランキーさんとまた隣になった時、バンドをやっているというメンバーを紹介された。ギターをやっているというLINUSさん。今日はDJもやるという。鋭い目つきが印象的。それから他の友人も何人か紹介してもらった筈だが正直覚えていない。後から来た集団はどうやら結婚パーティーの後にこちらに流れて来た模様で、暫くはその集団と混ざり合った混沌の時間があった後、先ほど紹介されたLINUSさん達のDJも始まったころに再度フランキーさんから紹介された小柄な顔の濃ゆい人が目の前に現れた。

フランキーさんが言う「イチ兄ィ(イチアニィ)、イチローゆうねん」。私は「シゲキです。どうも。」
1992年の8月だったと思う。初めての会話だった。
イチローという人はどこか照れくさそうに会釈くらいの挨拶だったろうか…

その時にどこ出身かも、普段何をしてるかも知らなかったであろう私に向けて、イチローさんは朧げにサイフから何かを取り出した。

「これ俺がやってるバンドのライヴチケットやねんけど良かったら来てや。」

9月に行われる予定のDawn Droqersのバナナホールでのライヴチケット。僕は思わずそのチケットを購入して、その勢いのままCatFishを後にした。

終電に間に合ったかどうかも覚えていないけれど、今思うと、あのチケットを手に入れていなければその後のストーリーは繋がっていないだろう。ある意味、人生をちょっとだけ決めたチケットだったかも知れない

2024.3.7

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