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【感情と得体の知れないもの その3】

数々の強い感情を手放してきてなお、
なぜにまた波に呑まれているのか。

「別れの季節」に、何があるのか。

自問する中で見つけたものは、

強力な「切なさ」であり、「無力感」であった。

案の定、それは幼少期の光景だった。

自営業をしていた我が家では、夜でも来客が
多かった。

当時の田舎ではよくある光景だったのだろうと
思う。

酔った父と来客が口論になることも、
時に殴り合いになることも、
父が母を罵倒することも、

1階で繰り広げられているそれらの喧騒は、
2階の寝室まで届いていて、
私はよく耳にしていた。

来客が帰った後になってもなお、
商談なのか何なのか、酔った父の命令で、
母が運転手となって出掛けていくこともあった。

2階の寝室で寝ているはずの2人の子供を置いて。

1階が静かになるたび、私は目が覚めていた。

両親が2階に上がってくる気配がない時、
私は、カーテンを開けて駐車場を見ていた。

そこにあるはずの車がない時は、
胸が締め付けられるほどの、
不安と恐怖に襲われていたのを思い出す。

小学2、3年生の頃だったように思う。

夜の闇の中に置いていかれることは、
見捨てられて、放置されたような感覚だった。

傍らで寝ている妹を起こさないように、

両親が帰宅するまで、
幾度となくカーテンを開けては閉じて、
眠りきれない夜を過ごしたことが何度もあった。

両親には、
寂しさや悲しさを伝えたことはなかった。
だからこそ、私の中では「傷」となり、
大人になっても長いこと、

「分離不安」

みたいな症状が出ていたのだろう。

自分ではどうすることもできない、
時期が来て変化を待つしかない、
圧倒的な「切なさ」を抱えて生きていた
小学生の私が、窓辺に立っていた。

「待たせてごめんね」と謝った。

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