正直であるという事


正直というのは自分の純度を上げる事だろう。
相対化されない自分になる、外部の価値観と分離する事だ。
他人の評価を捨て、見栄を張らず、他人のルールを放棄すると。
一から自分で法則を見つけ、自分で自分を組み立てるのだ。

しかしこれをやると一切のショートカットができなくなる。
めっちゃ時間がかかるだろうし、生活できなくなると思う。
ただ、この論理というのを追求すれば未来予測が可能になる気がする。
因果を読めるようになるというのが知性という物だろう。
星の位置から運命を読み取るとか、風水なんかの原理がこれだ。
仮にサイキックを目指すなら真実を追求するしかないだろう。

こうして自分にウソをつかなければ、いずれ精神的な存在になると。
しかしこれでは肉体が生存するのは不可能だろう。
ブッシュマンが都会に来た時の様に、情報量のカオスに潰される。
感受性、感度を上げれば苦しくて生きてはいけない。
つまり、精神の純度を上げれば肉体を存続できないのだ。
これが正直に自分を追求した場合の行く末だと思われる。

で、一部の特権階級はこれを欲望のままにやろうとしてる。
彼らは外部に基準を求める優性思想の権威主義者なのだろう。
利己主義の追求が人の本質に近づくと思っているのかもしれないが、
暴力や詐欺で他人から搾取するならそういう物は違うだろと。
加害行為で相対化して自分を逆説的に証明したいなら、
どんどん空虚になる、自分が存在しなくなっていくと思われる。
マッチポンプビジネスでどんどんトータルリソース減らしてゆく。
エーテルを薄め、幸福度を薄め、下降してゆく。
いくら金を儲けたって薄めてるんじゃ意味がない、無駄骨だ。
が、これを馬鹿の一つ覚えの様に繰り返すのが楽しいと。
こうしてやがては純度の高い肉体のみの人形になるのだろう。
やりたい放題というのはおそらく肉体原理における正直さなのだ。

そう、正直さには2つあり、
権威主義者からすれば自分の様な人間はバカで狂人でホラ吹きに見え、
自分からすれば奴らはアニマル、アメ鞭で踊るパブロフの犬に見える。

多分両方とも正直者だろうし、どっちを追求しても破滅しそうではある。
正直すぎるのも他人の法則を暗記してきた一方からは嘘つきなのだ。
結局は誰もがある程度のウソをつきながらでしか、
人間として生きられないという事だ。

失敗と経験を繰り返しバイオリズムの波のように、
上振れと下振れを交互に繰り返し、そのバランスの中で人間は成り立つ。
そして完全な正直者も、完全な噓つきも破滅すると。

ただ、これまでは下振れの時代だったので上振れを作らんと破滅する。
今はそういう時流になってきているハズだ。


おしまい。

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