「水平思考」さくらみこ・狩野英孝


さくらみこと狩野英孝

有名vチューバーとお笑い芸人だ。

YouTubeを見ていると、相変わらずこの二人は同じものを感じる。
笑いを取る際、本人が損したとしても周りがポジティブに感化される。
想像力に長け、気付かれない様に自分を引き下げてでも全体の成果を選ぶ。
自分を犠牲に笑いを取る、全体の好循環を生み出す才能だと思う。

利他的、既に日本では淘汰されてマイノリティになった善人だろう。
また二人共に共通しているのが神社というアイコンなのが必然を感じる。
神社の息子である英孝と違い、さくらみこバーチャルな巫女だが。)
この共通点には何らかの意味性を感じずにはいられない。

みこちが開眼したのはおそらく同じ水平思考桐生ココの影響な気がする。
桐生ココもまたホロライブ(箱)全体に好循環をもたらした人物だ。
少しだけ毛色が違うがポジティブな人物であって、
彼女は箱全体が躍進する起点を作りだしたと思えた。
フラットに周囲の現実を見渡せる人間だと思う。
みこち(さくらみこのあだ名が調和で向上させるのに対し、
率先して矢面に立ち牽引する桐生ココはリーダータイプで責任感が強い。
一見違う様でいながらもマインドは同類だと思う。
桐生ココが他者の劣等感を省みず、ガンガン突き進むのに対し、
さくらみこはそこを弱者目線でケアしようとする違いがあると思う。
劣等感を感じた経験則が二人の違いかもしれない。
しかしやってる事はとても似ている。

彼等は水平思考の平等主義、共存主義で競争・競合を避ける人種だ。
なのでインスピレーションが降りてくる、明らかなクリエイター。
神に愛されてるという例えは事実だろう。
彼等がポジティブな時、偶然が作用して奇跡が降りてくるタイプ。
モノは試しに彼等の脳波を調べて欲しい。
個人的な推察だが、みこちエイコーシータ波が出ている気がする。

英孝とみこちは垂直社会のカーストでは下位にならざるを得ない。
かつて明らかに面白く、独自性を発揮していたにもかかわらず、
権威の裏付けがない故に面白くないと思われ評価が低かった。
自分を犠牲にした皮肉や恥のユーモアは見下しの笑いを誘う。
視聴者に舐められる事が仕事だ。
作為に満ちた以前の価値観ならしょうがない。
テロップに笑いどころが表示される必要があるのだ。

エンタメのテンプレに無ければ大衆に認めてもらえないのだ。
二人共他者と競合しないせいで周りからポンコツだと舐められた。

ついこの間までは肩書やポーズが優秀そうな人種が強い社会だった。
マウントによって序列が明示されていた。
故に自分が舐められてもいいと思ってると最底辺に押し込まれる。
積極的に攻撃性を見せないと生き残れないのだ。

前例主義の垂直思考の社会では水平思考は受け入れられない。
利害のある身内ではともかく、権威が認めないと大衆も認めない。
そう、権威が評価しない限り浮上出来ない時代があった。
しかしこれはマスコミのコネや作為が消えたYouTubeで変わる。
需要の主導権が発信者(TV)から視聴者側に移動したからだ。

彼等をいかに重用できるかが全体浮上のスイッチだ。


ちょっとだけ判り易く書く。
平等主義・水平思考は座標軸の横線x軸のイメージで考えて欲しい。
これが価値観の幅、思考の幅、イレギュラーに対する許容度になる。
なので、この軸が広い人間ほど、アイディアを受け止められる。
価値観に境界が無く、その為インスピレーションが降りてくるのだ。
競争社会からいい評価を得ようとすればこの能力は潰される。
学校の成績や資格試験に該当しないから無価値と断定される。
時代の需要のせいで寿司ネタのトロの部分を投げ捨てて来たのだ。
それがx軸、水平思考の人材となる。

逆に縦軸・y軸型の人間。
序列主義、権威主義、垂直思考はひとつの方向の頂点へ向かう。
学歴競合社会に於いては彼等が圧倒的に優遇されるし、多数派だ。
トップダウン方式・軍隊の規律、
鵜呑みと拒絶の今の社会構造がそうなっている。
同じ価値、同じ方向へと皆が向かう様に洗脳されている。
異をはさんだら軍規違反、ルール違反と排除され、弾圧される。
そのせいでマニュアル、教祖、権威、権力、金と、既存の物しか見ない。
皆、新しい物の評価が固まった事後に、思考停止でその評価に乗るだけだ。
映画・ゼイリブの様に消費者として作り替えられたわけだ。
彼ら自身も身近に新しい芽が芽吹く度に血眼になって摘み取ってゆく。
彼等からすれば値札が無い物に価値は無いのだ。
y軸の価値観を維持する為に雑草であるx軸を排除しようとする。

これがイチゼロカルト、狂信者だ。
オウム信者に高学歴が多いのはこのロジックがある。
彼等はフラットに物を見れず、絶対性を求める。
正解・価値の定義を他者に求める。
そのせいで他力他責の依存性が強烈になり、いじめと虐待をする。
オウムが異端者を排除しようとしたのはそういう意味だ。
どちらしか生き残れない脅迫感と刷り込まれた使命感。
そして根源的な他虐スイッチ、サディズムが発生している。
垂直思考は生存競争で共食いの動物になってしまうのだ。
多分こういうのは人の眼を見れば判る気がする。

故にクリエイターは冷遇されがちな傾向がある。

アニメーターがいい例だ。
既存の物を回避し、y軸が低いほどに蔑視され、狂人扱いされる。
競合から外れるが故に侮られ、搾取され、淘汰されている。
争いを嫌うが故に奪われる、侵略される。

競合しない水平思考は垂直思考からは弱者に見えるのだ。

これまでは当然このx軸とy軸が両立できる人間が強かった。
競合しつつ抜け駆けが出来たからだ。
競合と開拓は両立しない事がほとんどなので難しい。
つまり、どうしても反比例してしまう。
なので成功するとはxとyの塩梅がいいという事だろう。

y軸の一見やり手に見える経営者はおそらくスパンが短くなる。
大義と将来像が無くなって長くは続かない。
ヴィジョンじゃなく瞬間の最大メリットを求め、リスクが見えない。
結局y軸、垂直思考の社会はバブルの様な打ち上げ花火に思える。
そのしわ寄せが氷河期そのものだ。
このようにy軸で考えると最終的に崩壊する、焼き畑だ。
逆にx軸で地道に信用を積み重ねれば、晩年、次世代にに実を結ぶ。
短期か長期の考え方の違い。
この辺もx軸とy軸の様に反比例する。

現在の社会崩壊。
これを立て直すのはx軸人間、水平思考、クリエイターだろう。

またこのx軸とy軸はグラデーションで大きな波を描いている。
戦争と平和、浪費と飢餓の様に上下の波を描く。

どちらが正解かは時流のカウンターによるのだろう。
タイミング次第で良かったり悪かったりと。

個人的に全てはこのバイオリズムで成り立っていると思う。


おしまい

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