トリクルダウンが起こらなかった理由


この辺をロジックで書こうと思う。
ちなみに自分は経済とか勉強した事が全く無いので、その辺はご勘弁。
ただ結局は社会は心理学的な分析が出来るだろうという試みです。
そういう仕組みに詳しい方の何かしらのヒントになればありがたい。
自分の考え方自体が何かの解決策になるかもしれないと。
そんなワケで。

アベノミクスを通す時、おそらく外資への通行手形が必要ようになったと。
要は資本家が潤う前提の法案だろう。
が、同時に彼等が庶民に利益を落とせば循環し、経済活性化する。
この矛盾は企業側が原理原則をちゃんと理解していれば発生しない。
企業がしっかりしている前提だろう。

さて、個人的に人というのは保身と大義で揺れ動くと思ってる。
善も悪も利己も利他も、全てはグラデーションで地続きだ。
故に完全な愛国者などおらず、個人単独の命懸けは無理である。
何故なら「本当に〇されるからだ」。
これまで純度の高い愛国はピンポイントで全て排除されてきたハズだ。
だから一人では出来ないのだ。
操り人形のフミキュンだって1%くらいの愛国心はあるだろうが、
〇ぬと判って飛び降りるのは誰でもイヤに決まってる。

おそらく安倍晋三は保身を残し、リスクの分担をしたのだろう。
要は「責任のワリカン」だ。
肝である「トリクルダウン」を企業側に任せた。
強要するなら連判状でも書かせて、踏み絵を踏ませる必要があるが、
それをすると自分に責任が集中し、面従腹背がバレてしまう恐れがある。
保身の為に「従順であるポーズ」がまだ必要だった。
自分にリスクを集中させなければまだ総理を続けられるだろうと。

彼は国のトップとしてはやるべき事をして「自分の分の責任」を負った。
後は各企業が己の責任を果たせばいい、それで上手く行くハズだ。
日本の経済界に心があるなら、愛国心があるならば、
外資に嫌われたとしても、きっと「トリクルダウンは起こる」だろうと。

そしてそれは「起こらなかった」。


結局は全体的なマインドだろう。
大義も勇気も無いのが利己主義者、内弁慶という事だ。
先を観てなおこうなる仕組みがあったのか、なんも考えてないのか。
おそらくその両方だと思ってる。

脅迫装置、工作員、或いは利己主義のボンクラ二代目社長とか、
今の時代、悪い材料は腐るほど各企業に蔓延していた事だろう。

なのでまぁ、責任者を個人としてアイコン化して叩くより、
自分にもできる事を国民全員がやる以外にないという事に落ち着く。
全体の価値観を変えていく事で、少しづつまともになってゆくと。
そんな風に考えてる。

おしまい。

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