言語力の基礎・ニュアンスの掘り下げ    「ワンパンマン」からの考察


言葉とは何か?

当然だが、ニュアンスを相手に伝える手段に他ならない。
この場合、小学生でも理解できる言葉選びの方がより優れている。
言葉で伝わらないならボディランゲージでも絵でも音楽でも使えばいい。
本質にはジャンルや境界線なんて単純化の為のアイコンは元々無いと。
言葉はただの伝達手段でしかなく、堅苦しい文法なんかよりも感覚だ。
ファッション賢者が淘汰され、そろそろ皆が理解しているはずのモノ。
横文字や小難しい専門用語、アルファベット系の詐欺は時代遅れだと。
中身も無いのにそういうのを多用して煙に巻く奴は笑ってやればいいと。
まぁそう思っても勉強のし過ぎで洗脳され、未だに理解できない奴は多い。

例えば自分は知識を無理に得る事を回避して生きている。
30代以降の知識は読書じゃなくザッピングから好き嫌いで得ただけだ。
多くの情報を得るより自分の中を掘り下げた方が発見があったりする。
それはよりロジック、つまり主体がぶれずに済むと。
(その状態で思いついた事を殴り書きしているとこんな感じになる)
知識に引っ張られた場合、その地点までをついショートカットしてしまう。
そうなれば他人が知恵を見出す為に辿った過程をスルーしてしまうと。
道中をショートカットすれば、未発見の隠された分岐にも気づかないのだ。
個人的に根っこ近い部分にはまだ見逃した分岐地点がある気がする。
過去には周知された物以外の法則、オカルトや奇妙な常識があって、
昔の人はそれを当たり前の様に使っていたかもしれないと。
判りにくいかもしれないのでちょっと例を以下に。

ワンパンマンという作品がある。
怖ろしくシンプルなテーマから話を作ってある、ある種の哲学漫画だ。
絶対強者というワンアイディアがこれまでの漫画文法を覆している。
(このテーマは過去にゴリラーマンというのが近いか?)
この作品内では切磋琢磨し、競争し、自己主張し、本質を演じ、
足を引っ張ったり見栄を張るのはいつも全て外野だ。
主人公はどこ吹く風でそのレースには関与しないと。
まぁこれ、これまでの作劇の成長過程をバッサリ切り捨てて、
割と原点、月光仮面とかのヒーロー像より前の地点から作り直している。
更に言えば、キャラクター名すらいい加減で、こだわりが無い。
自分も人の名前を覚えないタイプだが、この作者は輪をかけで無駄を省く。
名前に価値を感じていない、「もっと判り易い記号にしてしまえ」という。
これ。
この単純化が本当の装飾を取っ払った原点、判り易いアイコン化での作劇。
多くの作劇がテーマを分散させて複合的に作られてるのに対し、
この作者は「最強」という一本で多くのシチュエーションを生み出す。
シンプルな一品料理を様々な角度で味わおうとしていると。
ヒーロー物の作劇手法をいったん基礎の方から作り直している。
だから新鮮で色んな気付きがある、意識してなかった「旨味」を発見する。

最強というニュアンスを掘り下げていくだけでこんなにも分岐があるのだ。
物事の意味性を掘り下げていくと、初期段階にも未発見なルートがある。
既存の装飾を一旦切り離し、純粋に言葉のニュアンスを突き詰めてみる。
その地点に遡って再スタートすれば未開拓の何かがまだどこかにある筈だ。
垂直思考に慣らされて、多くの人はそれに気付かない様になっている。
いい加減水平思考を尊重して新しい価値観を生み出す時代じゃないのかと。
そもそも最初から全員参加の同じレースは不毛なのだ。
価値観を押し付けるんじゃなく、各個人が勝手に探せばいい。
同じパイを皆が奪い合えば、確実にリターンは薄くなっていくなんて事は
最初から判り切ってる。

おしまい。

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