「創作物から学ぶ理由」について


全てのジャンルに於いて、ちょいちょい見かけるエセ賢者。
彼等の言い分を観ていると面白い事に気付くだろう。

まず専門用語の力を借りる部分だ。
特定の専門用語を使うには、それが何かを理解する必要がある。
その際にどれだけニュアンスを掘り下げ、信ぴょう性や例外等々、
独自の手法で分析しなければほぼ間違いなくその自論に穴が出来る。
仮に議論でそこを突っ込んでいく内にボロが出て、感情論になるだろう。
そしてそういう論者の本質はソコとなる。
つまりは主体の無い受け売りであり、子供のケンカに発展する。
暗記脳だと暴力やラベリング、同調圧力に持っていくしか逃げ場は無いと。
傲慢なアイディンティティが崩壊し、ノイローゼになるまでがテンプレだ。
余裕の笑みは消え、人格攻撃によるマウンティングに終始する。
つまりは名実ともにケモノの本性を現すハズだ。
こうならない為には結局は専門用語を妄信せず、グレーで把握する事だ。

例えば「発達障害」「知的障害」等「○○障害」なんてのは基準が無い。
時代背景や文化によってコロコロ変わる定義だろう。
そもそもが、万能の超天才基準なら彼以外全員が障碍者となる。
トリフィドで有名な古典SF小説では、主人公以外は全員盲目になっていた。
その世界では健常者がマイノリティとして扱われるのだ。
そんなあやふやな基準があれば何もかもが狂う、反転してしまう。
そういうモノだと理解した上でしか扱う事は出来ないだろう。

暗記脳のファッション賢者、ヤブ医者なんて語彙に引っ張られて、
議論した瞬間に論理破綻して速攻ボロが出るハズだ。
他記事参照のエラソーな精神科医は「親の心子知らず」という詭弁、
強者の欺瞞を平然と使っていたが、もうこれ完全な詭弁家だろう。
その理屈を本当に自力で証明できるならやればいい。
「サービスのS」同様の大嘘だ。
他責他罰と無責任の象徴である、賢いサドなんて存在する訳が無いのだ。
Sとは悪知恵、ペテン師、搾取者であり、常に誰かに損害を与えていると。
あくまで他人軸であり、相対的勝者という引き下げ名人でしかない。
総じて論理不在の詭弁家である暗記人間とサディズムは連動する様だ。
空虚な脳みそ、思考障碍者である精神の不在が速攻でバレるだけだろう。
暗記でスコアを得てきたから平然と都合のいいワードを使えるのであって、
マウントスマイルを浮かべた時点でオリジナルの議論なんて不可能だ。
みっともない承認欲求、即ち利己主義の無条件報酬を証明したようなもの。
一からやり直して知性を身に付けろという話。
いつまでも知識で知性を偽るから、犬猫の領域にも届かないのだ。

思考の幅というモノは最も重要な感覚だ。
自分が正しいという前提をまず消して置かない限り、賢くはなれない。
全てがグレー、グラデーション、基準は便宜的なモノだと思ってる。
知識と言うアイコンを鵜呑みにした瞬間から思考が固定され、バカになる。
賢かった人が晩年急におかしくなるパターンがそれだろう。
己の矜持をアイコン化して固定した瞬間からフラットに考えられなくなる。
確か個人的リスペクトの一人、松本零士先生はそうなってしまった筈だ。
言いがかりの様に自分のオリジナルを主張しまくった。
当り前だが先生の影響力はもうとっくに拡散され、浸透している。
そういう意味では何千万人が何らかの影響を受けてても不思議じゃ無いと。
皆がパクっていて当たり前の影響力であれば、敢えて怒る意味もない。
おそらく松本先生だって何かをパクっていた筈だろうから。

かくいう自分のロジックもそうだ。
原点は多くの疑問からだが、それを支えてくれたのは楳図かずお作品だ。
人の言動には必ず別の思惑がある、人間は自分自身に嘘をつくと。
故に善意の押しつけは実際は悪意、利己、搾取であったりするわけだ。
楳図作品を読まなければ、自分の方が間違っていると混乱し続けただろう。
周囲の都合のいいウソに騙され続け、永久に自分を責めていた筈だ。

HSP、スターシード、精神の経験値みたいなニュアンスを明確にしたのは、
PS2の名作「夕闇通り探検隊」で間違いない。
この作品はとんでもなく現実世界の裏のシステムを言い当ててる気がする。
精神の輪廻による生贄システム、人柱という他者の責任を負う存在。
巫女という存在がそれであり、さくらみこに何かを感じる理由だ。
彼女はポンコツを演じているというか、バックの精神にそうされている。
守護霊と言うか、天使でもいいが本人のスタンドみたいな存在だろう。
最近割と確信してしまったが、肉体と精神は2つで一つの存在で、
ひょっとしたら何かのタイミングにより入れ替わる可能性もある。
(この辺の考察はいずれ。)
知識は肉体の物だが、思考の方向性は精神が決めているだろう。
肉体は滅ぶが、精神は再び依り代を得るか上昇下降するのだろう。
そしてそれが昨今の次元上昇と呼ばれるワードではないのだろうか?
肉体に経験を積ませ、遺伝子にデータを蓄積させてゆく。
そうする事で肉体ごとの進化を促すのだ。
人の肉体の方に高次元の精神を受け入れるスペックが足りてないと。

ロジックを突き詰めていくと割と多数の人がこうなる様だ。
ガンダムで描かれるニュータイプはHSP・スターシードそのものだろう。
地球の重力に引かれた人類の進化をテーマにするなら、
まず間違いなく富野 由悠季監督もこの構造に気付いたはずだ。

状況証拠からロジックを突き詰めていくと、案外誰もが同じ結論に向かう。
エヴァンゲリオンのATフィールドの正体、理解と無理解の境界線。
これを打ち破ったのがニュータイプという共感能力者、HSPだ。
宇宙に飛び交うニュータイプの魂のヴィジョンはサードインパクトと同義。
当然ながら庵野監督もスターシード、HSPだろう。

この様に専門書なんて読まずとも、真実のニュアンスは皆が知っている。
それぞれがそれを言語化し、継承していく事になる。
結局は勉強するよりとっくにクリエイターが教えてくれているのだ。

ワードに引っ張られず、
ニュアンスの本質を直視していけば自ずと論理が出来上がる。
自分のウソに騙されず、「言葉の言い訳」をせず、
原理原則、因果関係の連鎖を辿って行けば、多くの事が観えてくる。
それはおそらく誰もが過去の罪の記憶が思考を遮る事だろうが、
物語の中であれば、正義も悪も、罪も浄化も俯瞰して観えてくると。
そしてクリエイターにしかそれは再現できないのだろう。
そもそもが専門書にだって何かしらの嘘が書かれているはずで、
それを見抜けなければまったく意味をなさなくなると。

小説と専門書、どちらも主観、フィクションが混ざるなら、
浸透力の高い物語から学んだ方がよほど手っ取り早いと思うのだ。
他人のルールを学ぶなら、結局はバイアスをも学ぶことになる。
そのルール内で生きるしかなく、他の選択が出来なくなる。
それは結局は利用される事に繋がると。

自分の知識は20代までの読書からの分析であって、
それ以降はザッピングとオリジナルだ。
つまり、生存過程で勝手に入って来た知識だけでも論理は得られると。
理解も出来ない背伸びして、机上だけで無理して学べばアホになる。
そうであればアニメでも観てた方が有益だろう。
そもそも何を読もうがしっくりこなければ自分に何も浸透しない。
逆にいい物語はそれだけ含蓄があるという事だ。

おしまい。

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