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歴史への目覚め その1

50代半ばのサラリーマン。なぜ歴史が好きになったのか、また、歴史を扱うことを職業にするには至らなかったものの、その興味が今のサラリーマン生活にどう生かされているのか、雑談的に語ります。

1970年代、私が小学生の頃、自宅に百科事典がセットで置いてありました。
少年時代の私は、よく意味もなくページをめくっておりましたが、ある時、伏見城の洛中洛外図に目が止まりました。

なぜかはわからないのですが、その絵に強烈に惹かれたのが最初の記憶です。
聚楽第の洛中洛外図も好きでした。
それから、空想(妄想?)で、学習ノートに城郭の縄張り図みたいな絵をよく描くようになりました
堀に囲まれた本丸に天守閣と御殿を上から配置したような絵だったと思います。

今でも天守閣よりも御殿建築が残った城に興味があり、大政奉還の場となったことでも有名な二の丸御殿がある二条城を2回、観に行きました。
川越城の本丸御殿、再建された熊本城本丸御殿、名古屋城本丸御殿も観ております。
特に、熊本城本丸御殿の昭君乃間は、光り輝く天井、豪華絢爛な障壁画に囲まれ、豊臣秀頼を匿うために作られたと伝えられています。
御殿好きは、今思えば、幼少時からの刷り込みだったんだと認識を新たにしたところです。

次にハマったのは系図です。
源平合戦で、義がつく名が多い源氏。
(河内源氏)
 頼義ー義家ー義親ー為義ー義朝ー頼朝

盛がつく名が多い平氏。
(伊勢平氏)
 正衡ー正盛ー忠盛ー清盛ー重盛ー維盛

徳川将軍家と大名の関係を名前で観るのも面白い。将軍の名前を一字、大名はもらいます。「偏諱」と言います。

島津家を例に示します。
①家康→①家久(初名・忠恒)
③家光→②光久
④家綱→③綱久、④綱貴
⑤綱吉→⑤吉貴
⑦家継→⑥継豊
⑧吉宗→⑨宗信
⑨家重→⑩重年、11)重豪
以下省略。

義や盛、家など一字を代々受け継いでいること、大名が将軍の一字を賜り、そのことが当時の権力者との関係性として表せること、諸々面白いと思い、兄の歴史教科書を借りて、系図を眺めていました。
やがて、教科書に載っている系図は簡略版だと気づき、自分で歴史書の登場人物を加味した詳しい系図を、源氏や平家、北条氏、足利氏、徳川氏など書いてました。

次に興味を惹かれたのは婚姻関係ですね。

足利家時ー貞氏
      IIー尊氏
上杉頼重ー清子 II
        IIー義詮
北条久時ー守時 II
     ーー登子

歴史に残る三家が、婚姻を通じて交わっていることがわかります。
足利尊氏は室町幕府初代将軍。
北条守時は鎌倉幕府最後の執権。
滅んだ側と滅ぼした側が血で繋がっているのをみると、感慨深いものがあります。
また、上杉家は、室町時代に関東管領として栄え、その後、謙信に上杉姓を譲り、その名は江戸時代の大名家として残りました。

次回は、歴史を学んだことが、サラリーマン生活にどう反映されたのか、触れたいと思います。

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