見出し画像

北海道の廃線跡探訪 第25回 羽幌線(1/7)留萠~臼谷間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第25回 羽幌線留萠~幌延ほろのべその1 留萠~小平おびらです。

羽幌線は、とくに戦後建設の区間、築別ちくべつ遠別えんべつ間はトンネルが多く、橋梁はほとんどPC桁です。
海岸沿いの区間は国道232号に並行しており、接近困難なところは少ないものの、路盤はヤブがひどいところが多い。トンネルはすべて残存しています
小平~大椴おおとど間、力昼りきびる上平うえひら間は国道から離れ、蒸気機関車の時代、力昼~古丹別こたんべつ間は有名撮影地でした。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.羽幌線小史

羽幌線は大正時代に起工され、1927(昭和2)年10月25日、留萠線支線として留萠(改称/留萌)~大椴間、翌年10月10日大椴~鬼鹿おにしか間、1931年8月15日鬼鹿~古丹別間と小刻みに開業同年10月10日には羽幌線と改称、1932年9月1日羽幌に達した
1941年12月9日には築別炭鉱開発のため羽幌~築別間が延長され、5日後の同月14日羽幌炭礦鉄道が開業している。
一方、幌延方は天塩線として1935年6月30日幌延~天塩間が開業、翌年10月23日には遠別まで延長された。
残りの区間は、1953年遠羽線として着工、1957年11月6日築別~初山別しょさんべつ間が羽幌線として開業している。
最後に残った遠別~初山別間は、1958年10月18日開業、留萠~幌延間が羽幌線として全通した
沿線の漁業・林業・石炭産業の衰退や、自動車交通の発達・過疎化の進展により、羽幌線の輸送量は減少、国鉄再建法の第二次特定地方交通線に指定、1987年3月30日廃止された。

3.留萠

旧留萌駅の現状については、前回の留萌本線留萌~増毛間(増毛線)もご覧ください。

1/5万地形図「留萌」昭和58年第2回編集に加筆

留萠は、羽幌線廃止後の1997(平成9)年4月留萌と改称(漢字表記を「萠」から「萌」へ変更)、2016年12月留萌~増毛間が廃止となり、さらに2023(令和5)年4月には石狩沼田~留萌間も廃止となってしまった。
留萌駅舎は最後まで羽幌線があったころのままだった。

①営業当時の留萌駅舎 2010年5月撮影
①廃止後の旧留萌駅舎

かつて羽幌線の列車は、深川方にあった東留萠信号所まで逆行して、そこから分岐して羽幌方面へ向かっていたが、駅構内改良により新たな羽幌線ホームが造られ、解消されている。
新設されたホームはすでに分岐した線路上にあったため、駅舎に対して斜めになり、長い跨線橋で結ばれていた(上掲の地形図にも駅記号が2つある)。
羽幌線廃止後、跨線橋も改築され、羽幌線ホームや機関庫などが並んでいた広い構内は、船場公園に整備されている。
2020年7月には西端の国道231号沿いに「道の駅るもい」が開業、公園を含めた区域が道の駅となっている。

①営業当時の留萌駅構内 すでに羽幌線ホームはない(柵の向こう) 2010年5月撮影

一方、市内の見晴公園には、羽幌線や留萠本線で活躍した、国鉄最後の新形式蒸機で6輛しかなかったD61形唯一の保存機、D61 3号機がある。

状態よく保存されているD61 3 2010年5月撮影

4.留萠~三泊さんとまり

留萠を出た羽幌線は留萌川に向かうが、市街地の路盤は消えている。
川の手前に築堤が少し残っているが、新留萌川橋梁の痕跡はなく、対岸にあった国道232号の跨線橋も撤去されている。

②新留萌川橋梁へ向かう築堤 三泊方を望む 2010年5月撮影

国道の東側に出た路盤は、塩見町交叉点まで国道拡幅でほとんど消えている
1941~1967年の間、羽幌線と並んでいた天塩鉄道(→天塩炭礦鉄道)は、跨線橋の先で丘に沿って東へ曲がっていた。
塩見町交叉点手前にあったマサリベツ川橋梁も、河川改修されたためか、跡はない。
旧北光中学校附近も国道改良工事のため、石油ターミナル(現在はJXTGエネルギー留萌油槽所)専用線の国道アンダーパスもなくなり、雪崩防止柵だけが残っている。

③残っていた専用線の国道アンダーパス 右に擁壁があるのが羽幌線の路盤
2010年5月撮影

油槽所北端近くの小室ノ沢川には、小さなガーダー橋の小室川橋梁がある。
以前は住宅用通路として再利用され、民家がなくなった今でもヤブに埋もれつつ残っている。
確認できた限りでは、コンクリート製以外では唯一残っている橋だった。

④小室川橋梁 2010年5月撮影
④同上 2023年5月撮影

5.三泊~臼谷うすや

1/5万地形図「留萌」昭和58年第2回編集に加筆

三泊は駅舎(待合室)がバス待合室に転用されている
いまひとつ面白味に欠ける規格型のプレハブ駅舎で、連載取材時にはなんの変哲もないバス待合室と思い、見逃してしまった。
羽幌線で今も残る唯一の駅舎だが、ホームなどの痕跡はない

⑤旧三泊駅舎と羽幌線代替バス(沿岸バス) 2017年8月撮影
⑤同上 2023年5月撮影

ちょうど来合わせた留萌十字街行の沿岸バスには、朝の通勤時とあって、座席が半分以上埋まり、ここからも1人乗車した。
羽幌線の代替バスは、留萌や羽幌などの主要市街前後のほかは、乗客は実に少ないが、それでもまだ乗客がある方だと思える。

路盤には、一部に民家や集会施設が建っているが、おおむね残り、ツネカムリ川や無名川(並行する国道橋の銘板による)には橋台も残っている

⑥三泊の先にあるツネカムリ川に架かるトイタウシュナイ川橋梁?の橋台 2010年5月撮影

臼谷の集落に入ると、路盤は道路化され、臼谷ノ沢川に架かっていた臼谷川橋梁も跡形はない
道路の先は、小平蘂おびらしべ村記念公園となり駅手前まで続いている。

⑦路盤跡につくられた小平蘂村記念公園 2010年5月撮影
⑦同上地点から道路化された三泊方を望む 2010年5月撮影

1947年12月仮乗降場として設置され、1950年1月、駅に昇格した臼谷は、少し広くなっているだけで何もない

⑧臼谷駅跡 2010年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は臼谷から大椴へ向かいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?